17世紀から19世紀にかけて欧州ではObject d’Artが最盛を極めた。Object d’Artとは宝飾オブジェクトを総称する言葉で、例えば置物、文房具、写真立てなどの工芸品のうち、宝飾品に用いられるのと同じ素材または技術を使用して作られたものを指す。

王侯貴族など、莫大な資産を持っていた顧客達がこぞって宝石商に作らせたことで発展を遂げた文化だ。贅の限りを尽くした豪奢な工芸品は芸術的価値が非常に高く、アンティークオークションでは常に高値で取引されている。例えばFabergéのイースターエッグなどが世界的に有名なObject d’Artだ。

現代ではほとんど作られる機会が無いObject d’Artだが、「現代のObject d’Art」と形容されているのがジュディス・リーバー(Judith Leiber)のクラッチバッグだ。日本では結婚式の際に使用する程度で、あまり定着していない感が強いクラッチバッグだが、フォーマルな社交の場が多い欧米ではクラッチバッグも発展と洗練を遂げており、その中でもジュディス・リーバーはクラッチバッグ界の女王と言って差し支えない。彼女の作品は多数の美術館に芸術品として所蔵されている他、愛用するセレブは世界中で後を絶たない。

先月にニューヨークで開催されたMet Galaでも、リアーナ、マドンナ、ブレイク・ライブリーなど、様々なセレブの手元にはジュディスのクラッチバッグが輝いていた。1963年のブランド創業以来、アメリカでは歴代ほぼ全てのファーストレディーが、ジュディスのバッグを携えて大統領就任式に臨んでいる事でも有名だ。

シンプルなデザインのシリーズもあるが、ジュディスの代名詞と言えばクリスタルを全体にあしらった、大胆で煌びやかなデザインだ。この手法は、ジュディスがイタリアから取り寄せたバッグがひどく損傷しており、クリスタルの装飾で傷を隠そうと思い付いたことをキッカケに生まれた。

ジュディスの最大の魅力は、下記の画像に見られるように、あっと驚く斬新なモチーフを上品で洗練されたクラッチバッグに昇華させる才能だ。遊び心溢れるデザインは人々を惹きつけて止まないが、ユーモアを忘れないジュディスの信念は、ユダヤ人であるが故に苦労した若い頃の経験から来ているのかもしれない。

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ジュディスは当初イギリスに留学して化学を専攻していたが、第二次世界大戦の勃発でハンガリーへの帰国を余儀無くされた。ハンドバッグ職人になったのは、反ユダヤの動きが激化する中で、ユダヤ人を受け入れてくれる数少ない場所であった職工組合で訓練を受け始めた事に端を発する。ホロコーストを免れたジュディスはブルックリン出身の夫、ガーソンと結婚したことによりニューヨークへと渡り、ハンドバッグ職人として経験を積んだ後、夫婦でブランドを立ち上げた。彼女のクラッチバッグはたちまち反響を呼び、世界中に顧客を持つ高級クラッチバッグのブランドとして不動の地位を得た。経営面でジュディスを支える傍ら、夫のガーソンも画家として成功を収めている。72年間を共に過ごした夫婦は、今年の4月28日にわずか数時間の差で同日に他界している。

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稀有な才能を持つデザイナーの死を悼む声が数多く寄せられたが、ジュディスが生み出した芸術的作品は後世でも人々を魅了し続けることだろう。今回はジュディスの精神を引き継ぐような魅惑的なクラッチバッグを生み出している他ブランドも幾つか紹介したい。

まずはロシアのウリヤナ・セルギエンコ(Ulyana Sergeenko)だ。オートクチュールブランドなのでバッグを専門に作っている訳ではないのだが、時折ランウェイに登場するクラッチバッグは、一度見たら忘れない独創的なものが多い。メルヘンでありながら気品溢れる貴族的なテイストが持ち味だ。デザイナーであるウリヤナ本人のファッションスナップを見ても様々なクラッチバッグを所有しており、彼女のクラッチバッグ愛の深さが伺える。

次に紹介するのはベネデッタ・ブルジッチ(Benedetta Bruzziches)だ。イタリアのバッグ専門ブランドだが、公式インスタグラムの紹介文には「Object d’Art」を文字って、「Object d’Heart」との記述がある。「心がこもったオブジェ」という意味だ。ベネデッタの作品は彫刻的な造形美が特徴で、置いているだけで様になるものばかりだ。流線的なフォルムと鮮やかな色使いが美しいガラスのクラッチバッグのシリーズがある他、包装紙にくるまれたプレゼントをモチーフにしたり、雲の形を鋭角的にデフォルメさせたデザインがあり、斬新な発想の切り口が面白い。

最後に紹介するのはルル・ギネス(Lulu Guiness)だ。今回紹介した中では唯一日本でも知名度が高い、イギリスのブランドだ。ルル・ギネスはビールで有名なギネス家の出身で、レトロでエキセントリックな世界観を持つ。ルルのアイコニックなアイテムと言えば、リップモチーフのクラッチバッグだ。あらゆる質感、柄、色のバリエーションが揃っていて、誰でも自分にピッタリの一品を見つける事ができる。ルルが飼っているヨークシャテリアや口紅を模したデザインなど、乙女心をくすぐるクラッチバッグのセレクションには事欠かない。レッドカーペットでもよく見かけるブランドだが、普段使いにも取り入れやすいポップなデザインが多い。

テイストが異なる様々なブランドを紹介したが、持ち歩けるアート作品のようなクラッチバッグは、身に着ける者も観る者も楽しい気分にさせてくれる。人々をときめかせるクラッチバッグの魅力が、願わくば日本でももっと広まってほしい。


村井 美香

1986年生まれ。大阪府出身。15歳の時に単身渡英。ケント州の高校をオールAの成績で修了した後、ロンドンの名門美術大学Central Saint Martins College of Art and Designに進学。その後、Kingston大学大学院に進み、首席で卒業。英国王室御用達のジュエリーブランドなど、様々な有名ブランドでデザイナーとして経験を積む。帰国後は国内の某ラグジュアリージュエリーブランドで勤めた後に独立。ジュエリーデザイナー 、コラムニストとして活動中。