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	<title>NewSphere</title>
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	<description>世界と繋がるミレニアル世代に向けて、国際的な視点・価値観・知性を届けるメディアです。</description>
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		<title>眼を見て他人の心を読む方法</title>
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		<pubDate>Tue, 01 Aug 2017 00:00:26 +0000</pubDate>
		<dc:creator>NewSphere</dc:creator>
		<category><![CDATA[Society]]></category>

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		<description><![CDATA[著：Tobias Grossmann（バージニア大学 Associate Professor in Psychology） 　眼は、日々の人との出会いの中できわめて重要な役割を果たし、時には隠喩的に「魂の窓」と呼ばれるこ [&#8230;]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div class="wprt-container"><p>著：<a href="https://aeon.co/users/tobias-grossmann" target="_blank">Tobias Grossmann</a>（バージニア大学 Associate Professor in Psychology）</p>
<p><span>　</span>眼は、日々の人との出会いの中できわめて重要な役割を果たし、時には隠喩的に「魂の窓」と呼ばれることもある。他人の心に関する多くの情報を、彼または彼女の眼から収集できるという説を裏付ける、否定しがたい<a href="http://journals.sagepub.com/doi/abs/10.1177/1745691616654457" target="_blank">証拠</a>を今ここに紹介しよう。まず、ひとつのPOC（概念実証：コンセプトの妥当性の事前証明）として、英国ケンブリッジ大学のサイモン・バロン＝コーエン氏のグループが開発した「眼中思考読解テスト」（RMET）が、我々は相手の眼とその周辺部位を見ることでその心理状態を識別する能力を持つ、という<a href="http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/1469-7610.00715/abstract" target="_blank">証拠を示した</a>。他人の眼が彼らの思考について伝えてくれる情報の範囲は、いくぶん限られたものかもしれない。それでも、そこに示される証拠は、「他者の心の中は直接観察できない」とする懐疑主義の哲学者たちの長年の見解に真っ向から反する。「観察できない」どころか、人間の眼は、他者の心の内面に直接アクセスし、自己と他者とを結ぶ橋を形成するのだ。</p>
<p><span>　</span>この現象は、ヒトだけに見られるものだ。実際、全霊長類の約半数の種と比較した結果、ヒトの眼は形態学的にも反応的にも<a href="http://search.proquest.com/openview/780304204f1071e3702799f9623ad5be/1?pq-origsite=gscholar&amp;cbl=40569" target="_blank">ユニークであることがわかっている</a>。眼の輪郭（りんかく）部分の水平方向の長さと、強膜と呼ばれる眼球外縁の露出組織の量は、どちらも霊長類中最大。しかも、白色の強膜を有する種は霊長類では<a href="http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0047248401904683" target="_blank">ヒトだけだ</a>。現存する霊長類の中で我々に最も近いチンパンジーと<a href="http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0003347209005065" target="_blank">比較してみると</a>、ヒトは相手の顔を眺めるとき、眼の領域にしっかりと焦点を合わせる。14ヶ月齢までの段階で、ヒトの視線は<a href="http://www.cell.com/trends/cognitive-sciences/fulltext/S1364-6613%2805%2900243-3?_returnURL=http%3A%2F%2Flinkinghub.elsevier.com%2Fretrieve%2Fpii%2FS1364661305002433%3Fshowall%3Dtrue" target="_blank">ほぼ例外なく</a>相手の眼を追うようになる。それに対し、他の大型類人猿では、より頭部に近い方向に視線をもっていく。</p>
<p><span>　</span>他人の眼への感受性は、ヒトの発達の初期に現れる。生後間もない乳児は、まだあまり視力がないにもかかわらず、<a href="http://www.cell.com/current-biology/fulltext/S0960-9822%2817%2930580-8?_returnURL=http%3A%2F%2Flinkinghub.elsevier.com%2Fretrieve%2Fpii%2FS0960982217305808%3Fshowall%3Dtrue" target="_blank">出生直後から</a>相手の<a href="https://www.nature.com/nrn/journal/v6/n10/full/nrn1766.html" target="_blank">顔への嗜好</a>を表現する。具体的には、眼を閉じている顔よりは、<a href="http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0163638301000376?via%3Dihub" target="_blank">開けている</a>顔を見ることを好む。また、黒の虹彩に白の強膜という、ごく自然な外観の眼をもつ顔だけを<a href="http://www.pnas.org/content/102/47/17245" target="_blank">好み</a>、虹彩が白、強膜が黒の、人為的に作られた顔は好まない。また乳児は、大人が他人の心の状態を理解する際に用いるのと同じ脳領域を<a href="http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S187892931300056X" target="_blank">フル活用し</a>、実際に相手の眼を見つめることによって、他人の心に関わる感情情報を収集するようだ。驚いたことに、乳児は7ヶ月齢に至るまでにはすでに、相手の<a href="http://www.pnas.org/content/111/45/16208" target="_blank">白目</a>の部分のみを手掛かりにして感情のシグナルを検出し、直接的な視線と避けられた視線とを区別するという。</p>
<p><span>　</span>眼のシグナルに対する反応を司る結合神経ホルモンに、オキシトシンというものがある。<a href="https://www.nature.com/tp/journal/v5/n2/full/tp2014146a.html" target="_blank">研究</a>によると、鼻腔を通してこのホルモンを投与された被験者は、相手の顔を見るとき、その眼に視線を固定する傾向を強める。またこのホルモンは、眼のシグナルから相手の感情や心理を<a href="http://www.biologicalpsychiatryjournal.com/article/S0006-3223%2806%2900939-5/fulltext" target="_blank">読む能力</a>を著しく高める。</p>
<p><span>　</span>相手の眼と、その眼が発するシグナルに対する感受性の低下は、自閉症スペクトラム障害の発症の初期に見られる警告徴候の一つと<a href="http://www.cell.com/current-biology/fulltext/S0960-9822%2811%2901469-2?_returnURL=http%3A%2F%2Flinkinghub.elsevier.com%2Fretrieve%2Fpii%2FS0960982211014692%3Fshowall%3Dtrue" target="_blank">言われている</a>。最新の<a href="https://www.nature.com/nature/journal/v504/n7480/full/nature12715.html" target="_blank">研究では</a>、新生児にもともと備わっている相手の眼への志向性が、同障害に伴って、その後２～６ヶ月齢の時期に減退することもわかっている。視線のシグナルに対する脳反応の特徴的相違が6〜10ヶ月齢で観察される場合には、それは36ヶ月齢での自閉症診断につながる同障害の初期兆候だと疑われる。さらには、それより高い年齢層の自閉症の子供たちが、鼻腔内への<a href="http://www.pnas.org/content/110/52/20953" target="_blank">オキシトシン</a>投与後、眼のシグナルに対する脳反応を増進させるという研究結果も出ている。オキシトシンと心を読む能力との関係が、確かに示唆されるのだ。また<a href="http://www.pnas.org/content/112/39/E5434" target="_blank">研究では</a>、オキシトシン分泌に関わる遺伝的差異と、胸からの直接授乳経験という二つの要素が、7ヶ月齢という早い段階にある乳児の、相手の眼に対する感情反応に影響することも示されている。</p>
<p><span>　</span>概して言えば、他人の心を読む能力は初期の乳児期に発達し、他者の眼が発するシグナルに深く影響される。この発達過程では、他人の心をクリアに概念的に把握することは必要でなく、むしろ相手の感情・心理を直接経験することがベースになる。</p>
<p><span>　</span>もちろん人間は、これ以外にも様々な様式で他人の心を読む。たとえば触覚や、音声のシグナルなどだ。それでも眼のシグナルは、体に触れずに近距離でコミュニケーションをとる際のきわめて価値ある手段だと古くから見なされてきた。人間進化の早い段階において、危険な捕食者を避けつつ獲物を捕えることを切望する人間集団が協同して狩猟採集を行うにあたり、決して欠かせないものだったのだ。今日このシグナルは、あるいは人混みを通り抜ける時に、または仕事をうまくこなしていく際にも、我々が広く世界と交渉するのを助けてくれる。眼と眼を通したコミュニケーションは、誰かの心にアクセスし、最良の仲間を見つけて彼らと一緒にやっていくための、ひとつの助力だ。他者の心を見せてくれる窓としての眼は、生物としてのヒトの特性に深く根ざした、人間の社会的機能の神髄とも言えるものだと考えてよいだろう。</p>
<p><small>This article was originally published on <a href="https://aeon.co/" target="_blank">AEON</a>. Read the <a href="https://aeon.co/ideas/how-we-learn-to-read-anothers-mind-by-looking-into-their-eyes" target="_blank">original article</a>.<br />
Translated by Conyac</small><br />
<img src='https://metrics.aeon.co/count/72a7a8c1-1ec0-4f58-8ee1-73d5bcf08da7.gif' alt='Aeon counter – do not remove' width='1' height='1' /></p>
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		<title>結婚よりも大切なのは、ふたりで子どもを育てるための協定</title>
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		<pubDate>Mon, 31 Jul 2017 00:00:43 +0000</pubDate>
		<dc:creator>NewSphere</dc:creator>
		<category><![CDATA[Society]]></category>

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		<description><![CDATA[著：Laurie Shrage（フロリダ国際大学 Professor of Philosophy） 　私がアメリカの大学院に通っていた1980年代の初め、所属する女性支援団体のメンバーのひとりが妊娠を告げた。独身で結婚の [&#8230;]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div class="wprt-container"><p>著：<a href="https://aeon.co/users/laurie-shrage" target="_blank">Laurie Shrage</a>（フロリダ国際大学 Professor of Philosophy）</p>
<p><span>　</span>私がアメリカの大学院に通っていた1980年代の初め、所属する女性支援団体のメンバーのひとりが妊娠を告げた。独身で結婚の予定もなかった彼女は、この子を産んでひとりで育てるつもりだと言った。彼女は遺伝子上の父親には話さないと決めていた。中絶を強いられたり、別れてからふたたび現れて子どもの生活に立ち入られたりするのを恐れたからだ。ひとりで子どもを育てる方が彼女には都合がよかったのだ。</p>
<p><span>　</span>私の母も似たような境遇にいた。父と結婚していたときでさえも。当時のアメリカでは、父親は育児に関わらないのが普通だった。基本的な育児はすべて妻に任せるということ以外、今日「伝統的な結婚」と言われるものは共同育児のための原則を明確にしていなかった。父親にお呼びがかかるのは母親に加勢するときくらいかもしれないが、私のパートナーは決してその役割に甘んじることはなかったので、私は幸運だったのだろう。両親が離婚した際、どちらが子どもたちを引き取るかについては疑う余地がなかった。妻である母だ。両親の離婚後、父の存在感はますます希薄になり、私の子どもたちに会うことは一度もなかった（父が死んだとき長子は12歳だった）。</p>
<p><span>　</span>自らの意志で一人親になる。結婚して子供を育ててから離婚する。――このような状況は、婚姻制度は往々にして複雑で変化の多い子育ての支援にはならないという事実を示している。現代の家族は変化しており、最初から結婚せずに子どもを持つ選択をする人々が増えている。1970年にはアメリカにおける全新生児の11パーセントだった婚外子が、2014年には約40パーセントにまで達した。ノルウェー、スウェーデン、フランス、メキシコ、アイスランドなどの国では、50パーセント以上の子どもたちが婚外子として生まれている。</p>
<p><span>　</span>家族の安泰には結婚が必要不可欠だと考える向きは、この傾向を憂慮する。しかし、親になる事情は人それぞれで、それが結婚に結び付くとは限らない。親と子どもの生活に一定の経済的精神的安定を付加できる、結婚に代わる手段はあるのだろうか。</p>
<p><span>　</span>答えは「イエス」だ。一般的な婚姻契約と同様に、子どもに関する親の権利と義務を明記したうえに両親が関わり合って決定する原則を定めた、公的な「共同育児協定」とそれに関連する民法上の身分が私たちには必要なのだ。</p>
<p><span>　</span>子どもたちが成長する過程で複数の大人から継続的な支援を受けることは大きな利益となるが、必ずしも結婚している人々から養育される必要はない。両親に求められるのは、効率的に協力すること、相手と子どもの関係を尊重すること、育児と家計に同じように貢献することだけだ。イギリスでは既に、未婚、離婚、再婚、義理の如何を問わず、両親が子どもの共同親権に関する条件を定めることを目的とした「親の責任に関する協定（parental responsibility agreement）」を締結することができる。この協定には、子どもが基本的に健康な状態であることを共同育児者に定期的に報告すること、また、住居、学校教育、医療、その他費用の提供を援助することの義務が含まれる。</p>
<p><span>　</span>しかし、結婚したり一緒に暮らしたりする気がまったくない親や親密な関係を持ちたくない親のことを考慮して、もう一歩踏み込んだ公的な共同育児を考える必要があると私は考える。アメリカでは、「結婚せずに」家族を作りたい独身成人が最適な共同育児者を探すサポートをする、<a href="http://www.familybydesign.com/" target="_blank">ファミリー・バイ・デザイン（Family By Design）</a>や<a href="http://www.modamily.com/" target="_blank">モダミリー（Modamily）</a>などの組織が登場していると、ニューヨーク・タイムズ紙の<a href="http://www.nytimes.com/2013/02/10/fashion/seeking-to-reproduce-without-a-romantic-partnership.html" target="_blank">記事</a>が伝えている。しかし、国が法的に認めなければ、共同育児者は独自の協定を作成せざるを得ない。そのような個人で取り決めた協定は、立場の弱い側を守れない可能性があるし、法律相談の内容に影響されたものかもしれない。</p>
<p><span>　</span>当然、結婚と同様に、公的かつ正式な共同育児協定の締結と継続は自由意思によるものではければならないし、両親が望むときに、いつでも自由に私的で非公式な協定を締結できなければならない。しかし、制度化された公的なオプションがなければ、とりわけ関係が破綻したときに、家族を悪夢のような確執の危機にさらしてしまう。</p>
<p><span>　</span>親になるとき、自分の利益が妨げられたり損なわれたりしかねないあらゆる状況を予測することはできない。とりわけ破局した親たちは、フェアでないと知りながら、相手を激怒させるであろう戦略をしばしば用いる。子どもとの接触や子どもの生活への参加が危うくなるとき、片方の親に対する道徳的な配慮は最優先事項ではなくなるのだ。良識ある人々でさえも。私の友人やその友人の中には、パートナーにアメリカ国籍がないことを子どもと接触するための交渉の切り札として使う親たちがいた。ほかにも、同性の共同親が親としての法的地位を得ていない状況を利用する人もいた。また、協定を実行できなくするために、片方の親から遠く離れた場所へ住まいを移す選択をした人もいた。似たような話はたくさんある。</p>
<p><span>　</span>結婚は概して共同育児の条件を保証していないので、「従来の」家族にとっても従来とは異なる家族にとっても、公的な共同育児協定は社会保険となる。正式な協定は、子どもの生活に関与する権利や両方の親がしかるべき育児支援を行う権利など、親たちの基本的権利の保護に役立つだろう。共同親の協力関係が破綻した場合にも、協定があれば裁判官や親の共同責任に関する新しい協定交渉の仲介者の指針となる。</p>
<p><span>　</span>親としての地位を正式なものにする過程で、人々は自分が期待することについて最初から熟考し伝え合うだろう。どちらが子どもと家に留まり仕事を犠牲にするか、両親が別々に生活するなら子どもの時間をどう配分するか、子どもの将来に影響する重大な決断をどのように下すかについて検討し話し合うよう親になる人々に奨励することは、間違いなく社会にとって合理的だ。</p>
<p><span>　</span>もちろん、子どもをもうけるという重大なイベントを前にして、この先どんなことがあるか正確に知るのは困難だし、協定もすべてを事細かに取り決める必要はない。重要なのは、人生において共同育児関係を最優先するという正式な誓約と公式な宣言の文脈において将来の決定が行われるということだ。そのような協定は、協定の解除がもたらす結果が親たちにとって明白であることも手伝って、親たちが互いの利益のために問題を解決しようとする動機づけになるだろう。</p>
<p><span>　</span>親としての権利や子どもとの関係は、恋愛の浮き沈みに左右されてはならない。友人同士として、あるいは協力し合う者同士として共同で子どもを育てることは、子どもたち、大人たち、そして社会のためになる。民間の共同育児制度があったなら、私の母も大学院時代の友人もひとりで子育てをしなくてもよかったのかもしれない。</p>
<p><small>This article was originally published on <a href="https://aeon.co/" target="_blank">AEON</a>. Read the <a href="https://aeon.co/ideas/we-need-a-contract-for-co-parenting-not-just-for-marriage" target="_blank">original article</a>.<br />
Translated by Naoko Nozawa</small><br />
<img src='https://metrics.aeon.co/count/b6516c4d-1c2e-42ec-a12a-199cfa243e07.gif' alt='Aeon counter – do not remove' width='1' height='1' /></p>
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		<title>赤ちゃんではなく10歳前後の子の母親が一番落ち込む理由とは</title>
		<link>https://newsphere.jp/national/20170725-1/</link>
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		<pubDate>Tue, 25 Jul 2017 00:00:13 +0000</pubDate>
		<dc:creator>NewSphere</dc:creator>
		<category><![CDATA[Society]]></category>

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		<description><![CDATA[著：Lucia Ciciolla（アリゾナ州立大学 Postdoctoral research associate）、Suniya Luthar（アリゾナ州立大学 Foundation Professor of Psyc [&#8230;]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div class="wprt-container"><p>著：<a href="https://aeon.co/users/lucia-ciciolla" target="_blank">Lucia Ciciolla</a>（アリゾナ州立大学 Postdoctoral research associate）、<a href="https://aeon.co/users/suniya-luthar" target="_blank">Suniya Luthar</a>（アリゾナ州立大学 Foundation Professor of Psychology、コロンビア大学ティーチャーズカレッジ Professor Emerita）</p>
<p><span>　</span>母であることの喜びは年とともに一進一退する。母親にとっても最も大きな試練の時の１つを推測せよ、と言われれば、赤ん坊の世話をして睡眠時間が奪われることを考えて、新生児を自宅に連れて戻った時だと思うだろう。ところが、驚くなかれ、我々の<a href="https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4695277/" target="_blank">最新の研究</a>によれば、母親にとってもっとも大変な時期は子どもがミドルスクール（日本で小学６年〜中学２年生に相当する）に通う時期なのだ。</p>
<p><span>　</span>我々は赤ん坊から成人までを子どもに持つ2200人以上の母親を対象に調査を行い、母親の個人的幸福感、育児、我が子に対する認識の様々な点について検討した。調査対象の母親の大部分は高等教育を受けていた。我々の調査の結果は、ストレス感、うつ状態のグラフが逆V字形を示し、ミドルスクールに通う子（11歳または12歳の「トゥイーン」）をもつ母親が一貫して最も低迷し、赤ん坊や成人の子をもつ母親は最も順調だった。</p>
<p><span>　</span>結論から言うと、子どもの幼年期には極度の疲労と過剰な負担感から母親は赤ん坊の世話をすることの大きな満足感、充足感を覚える。だが子どもが思春期に近づくと、母親は我が子とのやり取りにますます前向きの気持ちが薄れ、育児の苦労ははるかに複雑になってくる。</p>
<p><span>　</span>母親の観点からいえば、「小さな子には小さな問題、大きな子には大きな問題」ということわざの中には偉大な心理が込められている。10歳前後の頃にはいくつもの要因が嵐のようにどっと押し寄せてくる。一方で、子どもは思春期とホルモン、ニキビ、身体の変化など思春期につながるすべてに対処しなければならず、他方で、酒、薬物、セックスの経験に興味を覚えやすい。子どもたちは、大きな校舎や授業ごとに変わる教師、ますます規模が大きくなる標準テストや大学受験（そう！この年齢からもう大学受験の準備は始まるのです！）など、学業や課外授業からのプレッシャーを受け、比較的人間味のない学校環境への変遷を真似する。最後に、この年齢の子どもたちは自分がどんな人間であるかが分かるようになり、親離れをして友達のグループに受け入れてもらうことに注意を向けるようになる。多くの場合、これには限界への挑戦やリスクを負うことが伴う。</p>
<p><span>　</span>それは一遍に対処しなければならない大変な変化だ。そして子供たちがこれらの主な困難のすべてを必死でうまく切り抜けようとするため、母親も子どもの主たる保護者としてそうしなければならない。</p>
<p><span>　</span>母親は本質的に、子どもの悩みに対する「第一応答者」であり、抱擁や愛情のこもった言葉や寝る前のおとぎ話はもう通用しないため、子どもに癒しと安心感を最高に提供する方法を見つけ出さなければならない。何を許し、どこで線引きをすべきかを決めることにうろたえ、恐れさえ抱く。我々は子どもが親に何でも話してくれ、支えとなってくれることを期待するが、悪いことや危険なことを赦しているように見られることなくそれを行なう方法について思い悩む。自信に満ちた母親でさえ、ああすればよかった、こう言うべきだったと後悔し、正しい判断を下したのかどうか不安になり、毅然として子供に譲ることを拒否することにうしろめたさを覚える。</p>
<p><span>　</span>そしてその後、もちろん、母親は多くの場合、急激な子供の人格の変化に直面する。日々のやりとりの中で子供の行動が日ごとに変わっていくことがあるためだ。愛情に満ちて幸せな1年生は想像もしていなかったむっつりした若者に変貌する。ある日は優しくて思いやりがあると思えば、次の日にはなだめられないほど閉鎖的になるといった具合だ。</p>
<p><span>　</span>親の顔をまじまじと見る十歳前後の子は目新しくはない。新しいのは、このような行動が母親に深い苦痛を与えることがあるという我々の研究の証拠だ。子供を始末に負えない、言うことを聞かないと見る女性は最も悩みの深い女性だった。</p>
<p><span>　</span>我々の研究結果の中心的な重要事項は、親を心底傷つける子離れは、文字通り子供が巣立つ時ではなく、成長するための複雑な取り組みの中で心理的に巣立っていく十歳前後だということだ。</p>
<p><span>　</span>特に比較的高学歴の母親にとって、子どもが十歳前後の頃は、精神的負担に加え、時間とエネルギーもますます必要になってくる。純粋な時間数でいうならば、大学を卒業した母親はそうでない母親や高学歴の父親と比較して子供の課外活動に費やす時間が急速に増えていた。時間に加えて、締め切りに柔軟性がないことが多い、そして多くは1人以上の子どものための1日のイベントを企画、計画、参加、移動し、それに伴う大きな精神的代償がある。</p>
<p><span>　</span>そしてこれらすべてが訪れるのは、多くの母親が身体能力、認識能力の衰えにより中年期に差し掛かった兆候を初めて経験し、死に対する意識が高まった頃だ。また我々独自の研究以外の複数の研究によると、この時期は結婚生活の満足度が最も低く、夫婦間の対立が最も多い。</p>
<p><span>　</span>ミドルスクールに通う子の母親がこれほどのストレスを感じているのももっともなのだ。</p>
<p><span>　</span>来るべきストレスの猛襲に立ち向かうには、母親はそれに対する備えをしておかなければならない。書籍やオンラインの資料もその一助となるだろう。しかしミドルスクールに通う子の母親は親密で信頼できる本物の友情を通しても元気を取り戻すことができる。それ以前の研究では、母親としての課題を通して他の母親と友情を結び衝撃を和らげる女性の中に、大きな保護の可能性が示された。だからこそ母親は、自身を支えてくれる友人を１つの選択肢としてではなく、不可欠なものとして扱い、特に子供のミドルスクール時代には友情を保つべきだ。</p>
<p><span>　</span>最後に、母親はミドルスクール時代にずっと子どもに向き合い続けているからこそ、元気を取り戻すことができる。これを経験しておけば物事はずっとやりやすくなるはずだ。ミドルスクールに通っていた子どもは高校生になり、大人になる。我々のデータには、もっとも幸福な母親は子どもが成人した母親であることが示されている。「空の巣症候群」の大部分は迷信だ。我々は単なる子供の保護者ではない。「我々も人間なのだ」ということをいつも覚えていることも役に立つだろう（本当に冷蔵庫にそう書いて貼っておいてもいいくらい！）</p>
<p><small>This article was originally published on <a href="https://aeon.co/">AEON</a>. Read the <a href="https://aeon.co/ideas/why-mothers-of-tweens-not-babies-are-the-most-depressed">original article</a>.<br />
Translated by サンチェスユミエ</small><br />
<img src='https://metrics.aeon.co/count/b8d97aac-e389-48de-a273-2cf2c5b1b9d4.gif' alt='Aeon counter – do not remove' width='1' height='1' /></p>
</div>]]></content:encoded>
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		<title>知ったかぶり屋も知らないこと　敏腕の錯覚</title>
		<link>https://newsphere.jp/culture/20170724-1/</link>
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		<pubDate>Mon, 24 Jul 2017 00:00:18 +0000</pubDate>
		<dc:creator>NewSphere</dc:creator>
		<category><![CDATA[Culture]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://newsphere.jp/?p=31867</guid>
		<description><![CDATA[著：Kate Fehlhaber（カリフォルニア大学ロサンゼルス校 PhD candidate in neuroscience、Knowing Neurons 編集長） 　1995年のある日、巨体の中年男性がピッツバーグ [&#8230;]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div class="wprt-container"><p>著：<a href="https://aeon.co/users/kate-fehlhaber" target="_blank">Kate Fehlhaber</a>（カリフォルニア大学ロサンゼルス校 PhD candidate in neuroscience、<a href="http://knowingneurons.com/" target="_blank">Knowing Neurons</a> 編集長）</p>
<p><span>　</span>1995年のある日、巨体の中年男性がピッツバーグの銀行2行を日中に強盗した。彼はマスクや偽装をしていなかった。そして彼は各銀行から出て行く前に監視カメラに向かって微笑んでいた。その夜遅く、警察は驚いたマッカーサー・ウィーラー氏を逮捕した。ウィーラー氏に監視テープを見させた時、彼は信じられないようにそれをじっと見つめた。「私はジュースをかけていたはずなのに&#8230;」と彼は呟いた。どうやら、ウィーラー氏は自分の肌にレモンジュースをこするとビデオカメラに見えなくなるだろうと考えていたようだった。要するにレモンジュースは不可視インクとしても使われるから、彼が熱源の近くに行かない限り、完全に目に見えないはずだった。</p>
<p><span>　</span>警察はウィーラー氏が狂っていたり、麻薬中毒であったのではなく、ただ信じられないほどの勘違いをしていたと結論づけた。</p>
<p><span>　</span>この事件はコーネル大学の心理学者、デイヴィッド・ダニング博士の興味を引き、大学院生のジャスティン・クルーガー氏と何が起きたのかを研究することになった。彼らは、ほとんどの人が様々な社会的、および知的領域において、彼らの能力に対して好意的な見解を持っているが、一部の人は彼らの能力を実際よりもはるかに高く、誤って評価している人がいると論じた。この「自信の錯覚」は現在、「ダニング＝クルーガー効果」と呼ばれ、自己評価を高く行ってしまう認知バイアスを示している。</p>
<p><span>　</span>研究室でこの現象を調べるために、ダニングとクルーガーはいくつかの巧妙な実験を設計した。ある<a href="http://psych.colorado.edu/~vanboven/teaching/p7536_heurbias/p7536_readings/kruger_dunning.pdf" target="_blank">研究</a>では、彼らは学部生に文法、論理、冗談に関する一連の質問をし、その後、各生徒に総合スコアと他の生徒と比較した相対的順位を推定させた。興味深いことに、これらの認知課題で最も低い得点を取った生徒たちは、多くの場合、彼らがどれほどうまく行ったかをいつも過大評価していた。下位四分位の得点を得た生徒は他の生徒の3分の2以上だとスコアを推定していたのだ。</p>
<p><span>　</span>この「自信の錯覚」は、教室内に限らず、日々の生活からも発見できる。フォローアップの<a href="https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2702783/" target="_blank">研究</a>でダニング博士とクルーガー氏は研究室から出て、射撃場に行き、銃愛好家に銃の安全性について尋ねた。以前の調査結果と同様に、ほとんどの質問に正しく答えなかった人は、銃器に関する自分の知識を高く評価していた。事実上の知識の他であってもダニング＝クルーガー効果は、無数の個人的能力に関する人々の自己評価においても観察することができる。最近のテレビのタレントショーを見ていると、オーディションでうまく行かず、審査員によって落とされた参加者たちの顔に表れる衝撃を見る事が出来る。私たちにはそれがほとんど笑い事だが、彼らは自分たちの優位性の錯覚がどれほど誤っているかを本当に認識していないのだ。</p>
<p><span>　</span>確かに、人によって自分を過大評価することは典型的なことである。ある<a href="http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/0001457586900047" target="_blank">研究</a>ではドライバーの80％は自分自身が平均以上だと統計的に不可能な評価をしていることを確認した。そして、人々が自分の相対的<a href="https://www.jstor.org/stable/3090112?seq=1" target="_blank">人気</a>と<a href="https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2429993/" target="_blank">認知能力</a>を評価する時、同様の傾向が見られた。問題は、人々が無能な時に、間違った結論に達し、不幸な選択をするだけではなく、間違いを気づく能力を奪われるということである。大学生を対象とした１学期間の<a href="http://psycnet.apa.org/index.cfm?fa=buy.optionToBuy&amp;id=2000-03003-015" target="_blank">研究</a>で、良い生徒は、得点や相対的なパーセンタイルに関するフィードバックを得て、今後の試験での成績をよりよく予測できる。しかし、最悪の結果を出す生徒は、彼らが誤っているという明確かつ反復的なフィードバックを得ているにもかかわらず、それを認識していなかった。無能な人たちは、誤ったやり方について混乱したり、当惑したり、深く考える代わりに、自分のやり方が正しいと主張する。チャールズ・ダーウィン氏が「人の由来と性に関連した選択」（1871）に書いたように、「 無知というのは、しばしば知識よりも確信に満ちている。」</p>
<p><span>　</span>興味深いことに、本当に賢い人も自分の能力を正確に評価することができない場合がある。 DやFなどの成績（AからFの6段階評価中）の生徒が能力を過大評価するのと同じくらい、Aの成績をとるの生徒は自分を過小評価している。ダニング博士とクルーガー氏の研究で、認知度が上位四分位だった成就度の高い生徒は、相対的な能力を過小評価していることを分かった。これらの生徒は、実験で用いられた認知課題が自分にとって容易であるならば、他の誰にとっても同じように容易であるか、またはより容易だろうと推定した。このいわゆる「インポスターシンドローム」は、成就度の高い人は、自分の才能を認識できず、他の人も同等に有能であると考えることより、ダニング＝クルーガー効果の逆に比喩することが出来る。違いは、有能な人は適切なフィードバックで自分の自己評価を調整でき、無能な人はそれができないということである。</p>
<p><span>　</span>そしてそこには、無謀な銀行強盗のようにならないための鍵がある。時々私たちは良好な成果を得る時もあるが、レモンジュースのアイデアのように、私たちのアプローチは不完全で、不合理で、不適格で、ただ、ばかげている時もある。極意は、優位性の錯覚に惑わされず、自分の能力を正確に再評価することを学ぶことである。つまり、孔子が言ったように、自分の無知の程度を知ることが本当の知識である。</p>
<p><small>This article was originally published on <a href="https://aeon.co/" target="_blank">AEON</a>. Read the <a href="https://aeon.co/ideas/what-know-it-alls-dont-know-or-the-illusion-of-competence" target="_blank">original article</a>.<br />
Translated by kang_2016</small><br />
<img src='https://metrics.aeon.co/count/6c848f8e-9cc9-4533-9b3f-88fe3d94a83e.gif' alt='Aeon counter – do not remove' width='1' height='1' /></p>
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		<title>歯並びが悪いのは歯が大きすぎるからではなく、顎が小さすぎるから</title>
		<link>https://newsphere.jp/culture/20170721-1/</link>
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		<pubDate>Fri, 21 Jul 2017 00:00:44 +0000</pubDate>
		<dc:creator>NewSphere</dc:creator>
		<category><![CDATA[Culture]]></category>

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		<description><![CDATA[著：Peter Ungar（アーカンソー大学 distinguished professor and director of environmental dynamics、 Ungar Lab 所長） 　我々の口の中は人 [&#8230;]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div class="wprt-container"><p>著：<a href="https://aeon.co/users/peter-ungar" target="_blank">Peter Ungar</a>（アーカンソー大学 distinguished professor and director of environmental dynamics、 Ungar Lab 所長）</p>
<p><span>　</span>我々の口の中は人類の進化の遺産がある。 我々は、自分たちの歯がいかにすばらしいかについて考えることはほとんどない。 歯は壊れることなく食べ物をかみ砕き、それは生涯にわたって何百万回にも及ぶ。 また、歯は噛み砕いている食べ物と同じ原材料からできている。 自然とはまさにインスピレーションを受けたエンジニアである。</p>
<p><span>　</span>しかし同時に、我々の歯は実に滅茶苦茶になっている。 考えてごらん。 親知らずの影響はあったか？ 下前歯が曲がっていたり、歯並びが悪かったりしているか？ 上の歯が下の歯よりも突き出ていたりしているか？ ほとんどの人は歯科治療を受けていない限り、これらの質問の少なくとも1つに対して「はい」と言わなければならない。 まるで歯が大きすぎて顎にうまく合わないとか、前歯や奥歯の十分なスペースがないなど。そうでなければうまく設計されたシステムが正しいサイズでないのは道理に合わない。</p>
<p><span>　</span>他の動物は完全にきれいな歯並びをしている。 我々の遠い先祖もそうだった。 そして今なお伝統的な狩猟や群れをなして暮らしている少数民族もそうだ。 私はアーカンソー大学で歯科人類学を研究しており、タンザニアにあるアフリカのグレートバレーに住むハッツァ族と共に働いている。 ハッツァ族の口を見てまず目につくのは、たくさんの歯が生えているということだ。普通我々には奥歯が16本しかないのに、ハッツァ族のほとんどは20本ある。 また典型的なハッツァ族は、上部および下部前歯の先端が咬合していて、下の歯は完璧なアーチを形成するように並んでいる。 言い換えれば、ハッツァ族は歯と顎のサイズが完全に一致している。 同じことは我々の化石時代の先祖や、現在も生きている最も近い親戚である猿や類人猿にも言える。</p>
<p><span>　</span>では、なぜ我々の歯は顎に正しくフィットしないのか？ 簡単に言えば、歯が大きすぎるのではなく、顎が小さすぎるのだ。 説明しよう。 人間の歯は、内部から出てくるエナメル質の硬いキャップで覆われている。 キャップを作る細胞は、歯が形成されると表面に向かって外側に移動し、後ろにはエナメル質の跡が残る。 歯が欠けたり虫歯で穴があいたりしたときに、なぜ歯が自ら成長して修復できないのかを疑問に思ったことがあるなら、それは、エナメル質を死滅させ、歯が噴出したときに出る細胞のせいだとわかるだろう。 歯の大きさと形状は前もって遺伝子にプログラムされている。 歯は口の状態に応じて変化することはできない。</p>
<p><span>　</span>しかし、顎となるとまた話は別だ。 顎のサイズは遺伝と環境の両方に依存する。 特に小児期に顎を頻繁に使うと、骨がストレスに対して反応するため、顎は大きくなる。 ハーバード大学の進化生物学者、ダニエル・リーバーマン（Daniel Lieverman）氏は、2004年に柔らかく、調理された食品と堅い生の食品を与えられたハイラックス科の動物について、すばらしい<a href="http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S004724840400051X" target="_blank">研究</a>を行った。 よく噛めば、歯を固定する骨はより成長する。 彼は、顎の最終的な大きさは、咀嚼中にかかるストレスの大きさで決まることを示した。</p>
<p><span>　</span>厳しい食事制限を考慮すると、顎の大きさは予想される成長に基づいている。 このように、顎の大きさが歯の大きさとどれだけマッチするかは食事によって決まる。 食事はバランスのとれた行為であり、我々の種はそれを正しくするのに20万年もかかった。 我々にとっての問題は、殆どの時代、我々の祖先は、こんにち我々が子供たちに与えるようなどろどろした食べ物を与えていなかったということである。 我々の歯が顎にフィットしないのは、より大変な環境で発達するより大きい顎にフィットするように進化したためである。 自然が期待するような運動をしていないため、我々の顎は小さくなりすぎてしまった。</p>
<p><span>　</span>これには多くの証拠がある。 南イリノイ大学の歯科人類学者のロバート・コルッチーニ（Robert Corruccini）氏が、インド北部のチャンディガル市周辺の都市住民（柔らかいパンやすりつぶしたレンズ豆を食べている）と農村人（粗いキビや硬い野菜を食べている）を<a href="http://www.aobjournal.com/article/0003-9969(85)90026-3/abstract" target="_blank">比較した</a>ところ、この現象が観測された。 彼はまた、アリゾナのピマ族がある世代から次の世代に移るときに、商業的な食品加工施設が開設された後に同じ現象を<a href="http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/ajpa.1330620311/abstract" target="_blank">見た</a>。食事は大きな違いを生み出す。 娘たちが若い頃、妻に肉を小さく切らないように頼んだ覚えがある。 「なるべく噛ませるように」と私は懇願した。 妻は、娘たちが肉をノドに詰まらせるぐらいなら、歯列矯正器を買うと答えた。私の負けだ。</p>
<p><span>　</span>叢生歯になったり、歯並びが悪かったり、歯が影響を受けると、審美的に大きな問題となるだけでなく、咀嚼にも影響を及ぼし、虫歯につながる可能性もある。 我々の半分は歯科矯正治療の恩恵を受けることができた。 歯科矯正治療では、しばしば歯列を顎の大きさと一致させるために歯を引き抜いたり削ったりすることもある。 しかし、こういった治療は実際には進化の観点から理にかなっているだろうか？ そうは思っていない臨床医もいる。 アーカンソー州の私の同僚である生物史学者ジェリーローズ（Jerry Rose）氏は、現地の歯科矯正医リチャード・ロブレ氏と協力して、この問題に取り組んでいる。彼らは、臨床医たちは特に子供の顎の成長にもっと焦点を当てるべきだ、と推奨する。 成人の場合は、今は骨の成長を刺激する外科的選択肢も増えていて、治療時間が短縮されることもあるからだ。</p>
<p><span>　</span>歯が収まり切らないことだけがより小さな顎が生み出す問題ではない。 睡眠時無呼吸という問題もある。 口が小さいほど舌のスペースが小さくなるため、睡眠中に舌が咽喉に戻り易くなって、気道を閉塞する可能性がある。 顎を前方に引っ張るための器具や手術が閉塞性睡眠時無呼吸の治療に用いられていることは驚くべきことではない。</p>
<p><span>　</span>良くも悪くも、我々は口の中に進化の遺産を持っている。 我々は、先祖が争う必要のなかった口腔内の問題で立ち往生しているかもしれないが、この問題を認識すれば、より良い方法で対処できるようになるだろう。次に鏡に向かって微笑んだ時に、この問題について考えてみてほしい。</p>
<p><small>This article was originally published on <a href="https://aeon.co/" target="_blank">AEON</a>. Read the <a href="https://aeon.co/ideas/its-not-that-your-teeth-are-too-big-your-jaw-is-too-small" target="_blank">original article</a>.<br />
Translated by yoppo</small><br />
<img src='https://metrics.aeon.co/count/0c1ca11d-7ceb-4845-a03d-d14a2d90c8ce.gif' alt='Aeon counter – do not remove' width='1' height='1' /></p>
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		<title>NASCARが電気自動車を採用してくれたら世界は変わってしまう</title>
		<link>https://newsphere.jp/technology/20170720-2/</link>
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		<pubDate>Thu, 20 Jul 2017 02:00:37 +0000</pubDate>
		<dc:creator>NewSphere</dc:creator>
		<category><![CDATA[Technology]]></category>

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		<description><![CDATA[著：Bill Nye（「サイエンス・ガイ」として知られている科学教師、テレビのプレゼンター、作家、元工学エンジニア） 　私のルーツは米国南部。母はノースカロライナ州ダラム出身、私の姉妹、おい、めい、配偶者たち、その元夫、 [&#8230;]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div class="wprt-container"><p>著：<a href="https://aeon.co/users/bill-nye" target="_blank">Bill Nye</a>（「サイエンス・ガイ」として知られている科学教師、テレビのプレゼンター、作家、元工学エンジニア）</p>
<p><span>　</span>私のルーツは米国南部。母はノースカロライナ州ダラム出身、私の姉妹、おい、めい、配偶者たち、その元夫、元妻、多くの子どもたちはバージニア州ダンビル近郊に住んでいる。その辺りでは、レース観戦に行くのは一大事だ。年齢も様々な男の子たち、時には女の子やその母親たちが車に乗り込み、サウスボストンなどのサーキットへ行く。ペーパークリップとよばれるマーチンズビルのレース場に行ったことがある。ここは今でもNASCAR（全米自動車競争協会、National Association for Stock Car Auto Racing）のサーキットで最短、1キロ（約0.5マイル）もない。でもとても楽しい。車は恐ろしいほど速く走り、とてつもなく大きな音をたてる…いや、やかましい！しかし、このワクワクするような、「車が壁を乗り越えてこちらを襲ってくるのでは？」と思わせるクオリティ以上に、このレースには残念なことがある。少なくとも、エンジニアである私にとって残念なのだ。私は、スマートで、効率的な未来の交通テクノロジーを思い描こうとしているのだが、それとは反対のことをNASCARがしているからだ。ここでは、昔の、とても古い交通テクノロジーが賞賛されている。</p>
<p><center><a href="https://cdn-newsphere.jp/wp-content/uploads/2017/07/Untitled-design19.jpg"><img decoding="async" src="https://cdn-newsphere.jp/wp-content/uploads/2017/07/Untitled-design19.jpg" alt="main" style="max-width: 500px; width: calc(100% - 2px);" /></a></p>
<div style="line-height: 150%; color: #666666; max-width: 500px; width: calc(100% - 2px);">NASCARのレース場 Action Sports Photography / Shutterstock.com</div>
<p></center></p>
<p><span>　</span>楽しさはある一方で、NASCARのようなレースは私の心を痛める。それは、旧式テクノロジーの礼賛である。電流ではなく、ガソリン燃焼を活用する。NASCARは、NASA（米航空宇宙局）のようであってほしい。NASCARは、過去ではなく未来を扱ってほしい。NASCARは、企業や個人が最新の自動車技術を開発するのを促すプロジェクト（Grand Challenges）を主催してほしい。ちょうどNASAが最新の宇宙技術開発でそれをしているように。 NASAでは現在、小惑星探索や優れた宇宙スーツの開発、深宇宙での放射線環境での生存のための技術を発明するコンテストを行っている。こうしたコンペはレースのようなものだ。優勝者はかなりの大金を手にできる。他には、Lunar XPrizeを創設したGoogleの例もある。これは、民間人グループがロボットを月に上陸させ、そこで撮影した写真を返信する技を競うという真の意味での競争だ。NASCARが同じようなことをできない理由はない。最もクールで、進化した自動車技術を開発した人に報酬を与える競争はできないだろうか。</p>
<p><span>　</span>中長期的に気候変動の問題に対処していくためには、化石燃料の燃焼を完全に終わりにしなくてはならない。自明、単純、もうそこまできているのか、という解決策とは、私たちの周りにあるすべての乗り物（鉄道、トラック、バス、自動車）を、ちょうど燃料燃焼の乗り物がガソリンタンクにエネルギー源を貯めているようにエネルギーを貯められるバッテリーを備えた電動車に転換することだ。短期的には、その変化を達成するのにNASCARは貢献できるのではないか。すべてのレーシングカーを、いますぐ電気自動車に変えてしまい、電気の力を一般の人々に明らかにするのだ。</p>
<p><span>　</span>以下のデータに着目してほしい。典型的なNASCARレーシングカーのトルク（回転力）は最大540フィートポンド（730ニュートンメートル）。販売されたばかりのTesla Model-S（セダン）は713フィートポンド（970ニュートンメートル ）。ドライバーを乗せたときの車体重量が3,600ポンドの時、NASCAR車は最大850馬力を出せる、（それぞれ1,650キロと630キロワット）。Tesla車はNASCAR車より1,000ポンドほど（450キロ）重く、わずか532馬力（400キロワット）の出力だ。最後の方の数字を見ると、確かにNASCAR車はハイエンドの電気自動車より強力であることがわかる。しかしよく注意してほしい。私たちは、レース仕様のNASCAR車を、電気自動車とはいえ、レースで走れるようチューニングされておらず（消費者なら誰でも購入できる）本当の意味でのストックカーと比較しているのだ。ガソリン車は、1世紀をかけて開発された製品。Teslaのような電気自動車メーカーがかけた時間は、せいぜい3年ほどしかない。</p>
<p><center><a href="https://cdn-newsphere.jp/wp-content/uploads/2017/07/Untitled-design-24.jpg"><img decoding="async" src="https://cdn-newsphere.jp/wp-content/uploads/2017/07/Untitled-design-24.jpg" alt="main" style="max-width: 500px; width: calc(100% - 2px);" /></a></p>
<div style="line-height: 150%; color: #666666; max-width: 500px; width: calc(100% - 2px);">Tesla Model-S Taina Sohlman / Shutterstock.com</div>
<p></center></p>
<p><span>　</span>私が想像するに、電気レーシングカーがガソリン動力のレーシングカーを完全に凌駕するのは明らかである。電気レーシングカーのピットクルーはきっと、ガソリンを補給する代わりにバッテリーパックを交換する。その車は、専用レーンを駆け上がって進入できるよう設計がなされている。レーンの下でバッテリーパックの接続が解除されて、取り外される。ほどなく真新しいバッテリーパックが差し込まれ、電気レーシングカーは走り去っていく。これにかかる時間は、通常ガソリン車での燃料補給と修理にかかる時間に対応している。</p>
<p><span>　</span>正直言うと、私はジェームズボンドの映画ファンでもある。最新作「スペクトル」の中で、我がボンドはアストンマーチンDB10に乗り込む（そして破壊する）。この車は時速0から60マイルに到達するのに3.1秒かかる（かかった）。他方、改造Tesla Model Sは0～60マイルを2.8秒で到達する。どちらが速いかを確認するのに、顔を近づけて写真を見る必要などない。ガソリンで動くノロマな車、残念でした。電気レーシングカーによるレースがどのようなものか、少し考えてみてほしい。今より速く、しかも静か。観客であるあなたは、隣の人と会話ができるだろう。ドライバーはおそらく、今はただ想像するしかないのに、観客のざわめき声を聞くことができる。私がみるところ、最も大事な点は、観客のすべて、レースファンのすべての人が電気自動車を求めていることだ！電気自動車市場は熱狂的になるだろう。自動車メーカーは、これほど素早く生産することができた。交通システムをオール電化に転換するのは、馬が曳く乗り物から馬のいない車に至った20年ほどの期間を要しないだろう。私があなたにぜひお伝えしたいのは、一度電気自動車を運転したら、他の車を運転したいなどとは決して思わないということだ。速くて、静かで、メンテにお金がかからない。</p>
<p><span>　</span>私はこのように楽観的なのだが、NASCARのことを考えると意気消沈してしまう。ここでは旧式テクノロジーが使われている。キャブレター、バルブ・プッシュロッド、鋳鉄製のエンジンなど。しかし、私から見て一番残念なのは燃料消費だ。ガソリン車は100キロあたり80リットルもしくはマイルあたり3ガロン（mpg）消費する。最大で4.5 mpgになることもある。私が思うに、これはきわめてたちが悪い。</p>
<p><center><a href="https://cdn-newsphere.jp/wp-content/uploads/2017/07/Untitled-design-18.jpg"><img decoding="async" src="https://cdn-newsphere.jp/wp-content/uploads/2017/07/Untitled-design-18.jpg" alt="main" style="max-width: 500px; width: calc(100% - 2px);" /></a></p>
<div style="line-height: 150%; color: #666666; max-width: 500px; width: calc(100% - 2px);">従来型のレースカーのエンジン Matthew Jacques / Shutterstock.com</div>
<p></center></p>
<p><span>　</span>一見後ろ向きのようだが、未来指向の話をしよう。私が小さかった頃、自動車レースは最新テクノロジーが開発されている場所であって、旧式の技術が保存されていたり、ましてや礼賛されたりしている場所ではなかった。スピードが速く、優れたハンドル操作のできる車をすごいと思っていた。今度、インディアナポリスのモータースピードウェイ殿堂博物館に行かれた際には、STP-パクストン・ターボカーをぜひ見てほしい。ヘリコプター用タービンエンジンを自動車レース用に採用したこの車は、1967年のインディ500のレースでほぼ勝利を収めた。全レース200ラップのうち大半の170ラップでリードを保ったのだ。残り3週を残して、ボールベアリングが破損。レース関係者なら次のように言うだろう。このタイプの革新的な車が来る年も来る年もレースに参戦するのを認めるのなら、レーシングチームはこれを何度もテストする機会を得て、勝利の確実なイノベーションをさらに改善するようになるだろう、と。すると、他のレーシングカーは陳腐化してしまう。このようなイノベーションを採用することをせずに、彼らは吸気口の許容サイズを変更した。極端に小さくすることで、タービン車が対応できないようにしたのだった。</p>
<p><span>　</span>私は、すべての車をタービンエンジンで動く車にすべきだと言っているのではない。レースとは、過去ではなく未来に関わるものであると言いたいのだ。NASCARがNESCAR（全米電気自動車競争協会）になるのはどうだろうか？ NASCAR（もしくはNESCAR）が電気動力駆動を採用するのが早いほど、自動車テクノロジーの分野で米国が世界をリードする日が早く訪れる。そして、私たちが雑貨店への買物、サッカーチームメンバーのピックアップ、通勤やレース観戦などに行きたいと思ったときにCO2を大気中に排出しなくなる日も早く訪れるのである。</p>
<p><small>This article was originally published on <a href="https://aeon.co/" target="_blank">AEON</a>. Read the <a href="https://aeon.co/ideas/if-nascar-embraced-electric-cars-it-could-change-the-world" target="_blank">original article</a>.<br />
Translated by Conyac</small><br />
<img src='https://metrics.aeon.co/count/3a491f64-9d18-4ecc-a506-3a72b12444c3.gif' alt='Aeon counter – do not remove' width='1' height='1' /></p>
</div>]]></content:encoded>
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		<title>巨大な通貨圏は機能しない？―一都市一通貨のすすめ</title>
		<link>https://newsphere.jp/economy/20170719-1/</link>
		<comments>https://newsphere.jp/economy/20170719-1/#respond</comments>
		<pubDate>Wed, 19 Jul 2017 00:00:26 +0000</pubDate>
		<dc:creator>NewSphere</dc:creator>
		<category><![CDATA[Economics]]></category>

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		<description><![CDATA[著：Mark Griffith（経済、哲学、政治を扱うジャーナリストで元金融トレーダー） 　この世界にはいくつの通貨が必要なのだろうか。いや、より厳密な問いを立てよう。ユーロ通貨の導入は、ヨーロッパは一つの通貨しか必要と [&#8230;]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div class="wprt-container"><p>著：<a href="https://aeon.co/users/mark-griffith" target="_blank">Mark Griffith</a>（経済、哲学、政治を扱うジャーナリストで元金融トレーダー）</p>
<p><span>　</span>この世界にはいくつの通貨が必要なのだろうか。いや、より厳密な問いを立てよう。ユーロ通貨の導入は、ヨーロッパは一つの通貨しか必要としていないという主張への大きな賭けであった。この実験がうまくいっていないことはあなたも気づいているだろう。それは一体なぜなのか。ここ数十年間で広く訴えられてきた言説が2つある。一つ目はより長い時間が与えられれば、通貨統合はより大きな政治的統合をもたらし（例えばユーロ圏の統一予算など）、目論見通りに機能するというものだ。もう片方の言説は、曖昧な「文化的」な理由を根拠としているが、統一通貨圏はまとまりを欠きうまく機能しないと主張する。英国財務省は長らく「経営状態の全く異なった経済を一つにまとめること」は賢くないという見解を示している。これは二つ目の主張を慎重に言葉を濁したものだといえよう。</p>
<p><span>　</span>しかしながら両者の意見にはやや怪しい点が見受けられる。まず、一つ目の言説は何故ユーロ圏が諸国の経済を統合するのにこれだけの時間がかかったのかについての共通見解を欠いている。ドイツの政治家が口をそろえて主張するように、ギリシャやその他南部諸国は汚職が盛んで国債に頼りっきりかもしれないが、そもそもこういった問題をユーロ圏で解決しようとしたのではなかっただろうか。二つ目については、ヨーロッパで通貨統合が起こったこと自体が、これらの各国家の通貨がユーロ以前にどれほどうまくいっていたのかを物語っていないだろうか。さらには、大きな通貨圏は栄えるようにさえ見える。アメリカ合衆国には一つの通貨しかないが、とても裕福な国だ。ロシアや中国やインドも単一通貨でうまくいっている。どうして異なる通貨の寄せ集めのほうがうまく機能するといえようか。</p>
<p><span>　</span>私がここで主張したいのは、実は異なる通貨を共存させることには多くの利点があるということだ。ジョン・ケネス・ガルブレイス氏,ジェーン・ジェイコブス氏, ベルナルド・リエター氏やニーアル・ファーガソン氏など多様な貨幣史研究家も、歴史上のほとんどの間、通貨は多様でありそれぞれの通貨は国家でなくそれが使われる都市に結びついていたと主張している。この傾向は今や忘れられつつある。わずか18世紀のイギリスとフランスの金融中央化で導入された一国一通貨制度は、ほとんどの人にとってはずっと存在している制度のように感じられる。</p>
<p><span>　</span>こうして私たちは現在の論争が過去に起こった論争と不思議なことにも類似していることを気づかないのである。地中海諸国と親ドイツ諸国とのユーロ通貨についての議論は19世紀のアメリカ合衆国での激しい対立を連想させる。その対立は東部州の「ハードマネー」を支持する人々と中西部州の「ソフトマネー」派とのものであった。奇妙に感じるかもしれないが、後に子供用映画にもなったライマン・フランク・ボーム氏による『オズの魔法使い』はこの論争に関する金融的、政治的な風刺である。この1880年代、1890年代のハードマネー・ソフトマネー論争（「<a href="http://historymatters.gmu.edu/d/5354/" target="_blank">私たちを金の十字架で縛ることはできない</a>」という言葉の中の金はハードマネーを意味している）は今日のユーロに関する論争に準ずるほど熱狂的であった。</p>
<p><span>　</span>東部州は中央銀行がすべてのアメリカ国内の銀行を統制することを望み、それを叶えた。中西部州は銀行が自由に預金証書を発行できることを要求したが、それは実現しなかった。紙幣は全てドル通貨であったが、卸し問屋はそれぞれの紙幣の価値を、それを発行している銀行の信用の評判によって変動させていたのである。そしてガルブレイス氏が指摘するように、自由銀行制は1800年から1850年までの50年間にわたる未だ打倒されないほどの経済成長の時期に取られていた制度である。南北戦争（1861年〜1865年）のあと、金融の中央化によって、常に1,2行が常に破たんしている自由銀行制から移行した。むしろ、アメリカの銀行は揃って過剰な貸し出しを行い（好況）、共倒れを起こし（経済破綻）、揃って過少に貸し出すのであった（不況）。1873年恐慌はこの新しいパターンの最初の例である。</p>
<p><span>　</span>言い換えると、半世紀に渡った史上最も早い経済成長は統合された通貨の下では起こらなかった。それは、それぞれの通貨に「ドル」という言葉が刷られていたものの、複数の通貨が存在した時代に起こったことだった。このような結果は私たちがユーロ危機に下した2つの診断から見るととても奇妙なものだろう。もう一つ見解の見解を紹介しよう。</p>
<p><span>　</span>1970年代にアメリカとカナダの経済学者ジェイン・ジェイコブス氏は極端に単純な洞察を生み出した。彼女が生涯興味を持っていた都市史研究が、国ではなく都市が経済を動かしていることを確信づけたのだった。都市は赤の他人がともに事業を起こす混沌としていて秩序立てられていない場所なのだ。ジェイコブス氏によると、だからこそすべての革新は都市で起こるのだ。よって、すべての都市の通貨がその都市の経営状態と連動すべきであることは筋が通る。2つ以上の都市に同じ通貨を使うことを強いることは一つの都市の経済を向上させる代わりにその他の都市を荒廃させるのだ。これは、イタリア南部やイングランド北部が何十年分もの助成金をもってしてもミラノやロンドンから大きく経済的な後れをとっていることからも見て取れる。</p>
<p><span>　</span>ユーロ圏とユーロ以前の失敗は経済の原動力である都市に注目することによって説明がつく。ユーロ以前のヨーロッパの国々の国内通貨圏はすでに大きすぎ、ユーロ圏は既に大きすぎた通貨圏をさらに広げただけであった。アメリカ合衆国は一つの通貨を共有しながらも豊かであるが、実は一つの通貨圏に制約されていることによる負のサイクルに苦しんでいる。アメリカ経済は長い間、高い労働流動性（フランスの3倍）に支えられてきたが、<a href="http://harvardmagazine.com/2013/01/immobile-labor" target="_blank">それも小さくなってきている兆候</a>が見られ、ドル圏による不利益はより表面化してきている。</p>
<p><span>　</span>ジェイコブス氏の見解によると、アメリカ合衆国やカナダ、オーストラリア、ブラジルなどの国々が豊かなのはそれらが持つ大きな通貨圏が理由ではない。むしろ、大きい通貨圏を持たないほうがより豊かになるのだ。今や社会不安は上昇傾向にある。ユーロ圏を苦しめている問題によってアメリカ人も直面する未来も容易に想像できる。</p>
<p><small>This article was originally published on <a href="https://aeon.co/" target="_blank">AEON</a>. Read the <a href="https://aeon.co/ideas/huge-currency-zones-don-t-work-we-need-one-per-city" target="_blank">original article</a>.<br />
Translated by Conyac</small><br />
<img src='https://metrics.aeon.co/count/49c87f67-3c3b-4042-b640-8b4f398198da.gif' alt='Aeon counter – do not remove' width='1' height='1' /></p>
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		<title>IQテストの価値を認めないのは愚かなこと？</title>
		<link>https://newsphere.jp/culture/20170713-1/</link>
		<comments>https://newsphere.jp/culture/20170713-1/#respond</comments>
		<pubDate>Thu, 13 Jul 2017 00:00:29 +0000</pubDate>
		<dc:creator>NewSphere</dc:creator>
		<category><![CDATA[Culture]]></category>

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		<description><![CDATA[著：Stuart Ritchie（エジンバラ大学 Postdoctoral Fellow in Cognitive Ageing） 　「IQテストは、単にテストでうまく回答できるかを測定するための手段」。知能テストの話に [&#8230;]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div class="wprt-container"><p>著：<a href="https://aeon.co/users/stuart-ritchie" target="_blank">Stuart Ritchie</a>（エジンバラ大学 Postdoctoral Fellow in Cognitive Ageing）</p>
<p><span>　</span>「IQテストは、単にテストでうまく回答できるかを測定するための手段」。知能テストの話になると、このような議論がよく交わされる。これは、科学的にきわめて脳力の高い人によって喧伝されたりする。気候変動は神話だ、とか、ワクチンを接種すると自閉症になるなどと彼らがいうことはまずないだろう。しかしIQテストが無意味だという発言は、それと同じくらい間違っている。実際、この数十年の間に丁寧に繰り返し行われてきた研究によると、IQテストは、あらゆる心理科学の中で最も信頼でき、かつ有効な手段だとされている。</p>
<p><span>　</span>それでは、実のところ、形状パズルや無意味なシンボルのリストをいかに早く確認できるかの計測、記憶テスト、語彙測定などに代表されるIQテストによって、その人の何が分かるのだろうか？最も高い相関関係を示したものは、特段驚くほどのものではない。IQスコアは、その人の学業成績を高い確度で予想する。ある大がかりな<a href="http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0160289606000171" target="_blank">研究</a>によると、11歳の時に獲得したIQスコアと16歳時の学業成績との相関係数は＋0.8であった（同係数は−1から＋1の値をとる）。そのため、このテストは確かに「知能テスト」と呼べるだけの理由がある。しかしそれはまだ序の口にすぎない。高いIQスコアは、<a href="http://apsychoserver.psych.arizona.edu/JJBAReprints/PSYC621/Kuncel_Hezlett_Current%20Directions%20in%20Psychological%20Science-2010%20(Cog%20Ability%20Testing%20Hiring%20and%20Admissions).pdf" target="_blank">仕事での成功</a>、<a href="http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0160289606001127" target="_blank">高い収入</a>、<a href="https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC516648/" target="_blank">身体的</a>・<a href="https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4170757/" target="_blank">精神的な健康</a>をも予想する。そしておそらく最も注目を集める知見は、子ども時分のIQスコアがその人の死亡率を予想するというものだ。賢い人ほど長生きする。この結果は、社会的な階級の影響を取り除いてもなお有効である。</p>
<p><span>　</span>神経科学者や遺伝学者もまた、人知の理解で相当の進歩をもたらしてきた。何百もの研究を対象にしたメタ分析の結果、脳の大きい人はIQテストの成績が良い傾向があることが確証され、脳の特定部位や機能に関する<a href="http://www.larspenke.eu/pdfs/Deary_Penke_Johnson_2010_-_Neuroscience_of_intelligence_review.pdf" target="_blank">研究</a>はまだ継続している。双子を対象とする調査やDNAを直接観察した調査の結果、知能テストの成績は<a href="http://www.nature.com/mp/journal/v20/n1/full/mp2014105a.html" target="_blank">遺伝する</a>ことも判明している。個人間で異なる知能レベルの違いの大半は、遺伝で説明できるのだ。この違いをもたらす<a href="http://www.nature.com/mp/journal/v20/n2/abs/mp2014188a.html" target="_blank">特定の遺伝子</a>のいくつかはすでに解明が始められており、さらなる知見がまもなく明らかにされるだろう。</p>
<p><span>　</span>知能が遺伝や神経の機能と関わっている、そして知能は人生を通してかなり安定していそうだという理由で、知能を変えることはできないと考えるのは間違いである。このように考える人たちは、IQスコアは不変で、平均点以下なら人生は惨めになると決めつけている。それは誤りだ。個人のIQスコアを上げられないというなどという法則などない。少なくともある程度までは上げられる（最近の試みは<a href="http://englelab.gatech.edu/2013/redick-et-al-20132c-wm-training2c-jepg.pdf" target="_blank">失敗に終わっているが</a>）。実際、やや曖昧ではあるが（非遺伝的な理由で）<a href="https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4152423/" target="_blank">フリン効果</a>と呼ばれるプロセスによりIQスコアはここ数年、着実に向上している。そしてもう1つの誤りは、IQスコアがその人物の「全体を表している」という主張を信じることだ。これもまた別の意味で間違っている。すべてのIQ研究者たちは、性格、動機、運を含む他の要因などが人生の成功に欠かせないという考え方をたやすく受け入れる。</p>
<p><span>　</span>IQテストに隠しておきたい秘密がないというのはばかげている。全てとはいわないが、このテストを発明した人の多くは20世期初頭、優生学運動に関わっており、IQテストの元々の使われ方に失望するのも理解できる。しかしこうした懸念は、今日受験したIQテストの得点がその人のことを何でも言い表せるのかという中心的な問題とは無関係である。ファクトはファクト。そして、知能テストの得点の有効性は、多くの論拠により幅広く支持されている。</p>
<p><span>　</span>リンクを貼った上記全ての研究が示しているように、IQテストは、教育から医療、仕事の世界に至るまで、あらゆる状況で活用できる。私たちは、脳の老化現象を理解し、より健康的に歳をとるのに役立たせるためにIQテストを必要としている。人の知性を高める方法に取り組み、その結果として生産性の向上に役立たせるためにもIQテストを必要としている。そしておそらく、IQテストは、心理科学者が人知を精査・検証するのに使用するツールの1つである。つまり、このテストが提供してくれる知見を無視し続けるのは、きわめて賢明でないといえよう。</p>
<p><small>This article was originally published on <a href="https://aeon.co/" target="_blank">AEON</a>. Read the <a href="https://aeon.co/ideas/how-clever-is-it-to-dismiss-iq-tests" target="_blank">original article</a>.<br />
Translated by Conyac</small><br />
<img src='https://metrics.aeon.co/count/5a03b6b5-acdb-4907-8502-26cdbb7b5d9c.gif' alt='Aeon counter – do not remove' width='1' height='1' /></p>
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		<title>世界の食糧システムを改善する簡単な方法</title>
		<link>https://newsphere.jp/culture/20170711-2/</link>
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		<pubDate>Tue, 11 Jul 2017 02:00:45 +0000</pubDate>
		<dc:creator>NewSphere</dc:creator>
		<category><![CDATA[Culture]]></category>

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		<description><![CDATA[著：Peter A Coclanis（ノースカロライナ大学チャペルヒル校 Albert Ray Newsome Distinguished Professor of the History Department, Dir [&#8230;]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div class="wprt-container"><p>著：<a href="https://aeon.co/users/peter-coclanis" target="_blank">Peter A Coclanis</a>（ノースカロライナ大学チャペルヒル校 Albert Ray Newsome Distinguished Professor of the History Department, Director of the Global Research Institute）</p>
<p><span>　</span>国連（UN）ミレニアム開発目標（MDG）のデータからも明らかなように、ここ数十年の飢餓と栄養不良に対する国際社会の歩みは目覚ましい。たとえば1990年から2014年までの世界の栄養不良率は23パーセントから13パーセントまで下がり、実に著しい進展だ。それでも、世界には依然として8億の栄養不良に苦しむ人々がいて、その大半はサハラ・アフリカ、南アジア他の地域の民族だ。</p>
<p><span>　</span>明らかに、世界の栄養不良人口を確実に減らしていくことは開発優先事項だ。「ゼロ・ハンガー」は国連開発計画の（2015年にMDGの跡を継いだ）17の「持続可能な開発目標」の第二の優先目標となっている。しかし、この目標の達成はおろか、近づくことさえ容易ではない。私がこの記事を書いている2017年初頭現在、世界の人口は約75億だ。現在の予測では、2050年までに人口は約97億に増加し、食糧確保が最も困難な地域で最も急速に人口が増加するとみられている。</p>
<p><span>　</span>この人口推計は、食糧安全の課題に関心のある学者や専門家にとって非常に厄介だ。平たく言えば、気候変動という状況下でますます低下する運用基盤を用いなければならないこと（質がひどく低下している農業用水が減り、農地が荒れ、新鮮な魚が減少するなど）と殺虫剤や肥料の使用を減らしていかなければならないことがほぼ確実な時に、それだけの人口に食糧を供給する方法を一体どのようにして見つければよいのか。</p>
<p><span>　</span>そればかりではない。現在より20億も多くの人々に食糧を提供しなければならないだけでなく、世界人口の収入と生活水準がますます上がるにつれ、資源をより必要とする高タンパク質や乳製品ベースの食事が求められることはほぼ間違いない。これは大変な仕事なのだ。</p>
<p><span>　</span>以上の点を考えると、飢餓からの解放はともかく、すべての人に食糧を確実に供給するための唯一の解決策や秘密の特効案というものは存在しない。幸いにも、問題を一歩前に進めるには様々な方法がある。たとえば、<a href="https://aeon.co/essays/what-makes-a-better-world-lab-grown-meat-or-humane-farming" target="_blank">肉</a>の消費を減らすことによって、または一人当たりのカロリー摂取を減らすパーソナライズされた、あるいは的を絞った栄養を用いるメタボロミクス（代謝学）を発展させることによって、人の食事内容を環境への影響が減るように変えることができるかもしれない。さらには、従来の農業 よりも少ない資源を用いて食糧全体の供給に寄与することが可能な合成生物学に基づく「<a href="https://aeon.co/essays/is-there-any-reason-vegetarians-can-t-eat-lab-grown-meat" target="_blank">工場食品</a>」を検討することができるかもしれない。</p>
<p><span>　</span>もちろん、農地、労働力への資金投入、農業資本の増加、または、精密農業、細流かんがい、農業分析、飼育慣行（従来のやり方か遺伝子組み換え、遺伝子編集かを問わず）の改善を通じた生産性向上によって、農業生産量を増やすことも全体像の一部だろう。確かに、農家、研究者、農業推進代理店、為政者などの協働によって、1950年代から世界の農業生産量は驚くべき増加をしてきた。しかしここ数十年、実質成長率は様々な理由により減速している。おそらくその最も厄介な理由として挙げられるのは農業の生産効率の伸び率の鈍化だろう。</p>
<p><span>　</span>幸い、生産効率の伸びに関わりなく、効率的な食糧供給を増やす複数の方法がある。これは容易に解決できる問題であり、その解決策は一般的に「食料廃棄」の伝統の下に組み込まれてきた場に見出すことができるのだ。廃棄物は広範なカテゴリーであり、収穫後に畑や果樹園に食用に適する生産品が残る問題、収穫と農業製品（または魚介類製品）販売の間で発生する収穫後ロス（PHL）、食用に適しているが見栄えの悪い果物や野菜が売れ残る問題、食品がレストランや家庭で捨てられるといったロスなどの問題が当てはまる。</p>
<p><span>　</span>国連食糧農業機関（FAO）によれば、世界で人間の消費のために生産された食糧の約3分の1（約13億トン）は損失か廃棄されている。カテゴリー別に分類すると、世界の穀物生産の30%、乳製品の20%、「収穫された」魚介類の35%、食肉の20%、油糧種子と豆類の20％、根菜類、また野菜や果物の実の45%が無駄になり廃棄されているとFAOは見積もっている。</p>
<p><span>　</span>先進国で暮らしている人々にとっては、売れ残って廃棄される食品など、小売店と消費者に関連する廃棄問題は身近なところにある。しかし、世界の多くの地域で最重要課題であるこの問題には別の一面がある。それは、（先進国にとっても大きな問題である）PHL（収穫後ロス）だ。名前が示唆する通り、PHLは一般的に、食糧の収穫から市販までの間に回避することが可能な食品の無駄を指す。ただし、人によっては、このカテゴリーを消費の時点まで広げる場合もある。どちらのケースも、収穫それ自体から後続の処理に、不適当、不適切な処理、脱穀、乾燥、洗浄、処理、間違った保存、輸送、穀物や収穫した魚の包装などが原因で様々な無駄が生じている。総合的に考えると、これらの要因は、生産地や地理的位置によって5～10％から50％以上もの食品ロスに結びついている。一般的にこのようなロスは穀物よりも（果物、一部の野菜、魚などの）生鮮食品や（一部の野菜、根菜類、油糧種子や豆類などの）半生鮮食品に多い。ただし、一般的には腐りにくい穀物のロスも、往々にして昆虫や齧歯動物による被害、保管の悪さ、輸送基盤などが原因で高い場合がある。</p>
<p><span>　</span>現在、我々の食糧の3分の1が無駄になり廃棄されていることを知るのは非常に残念だが、詳細に調査していくと、大きな希望の光が見える。穀物生産量増加の場合とは異なり、既存技術の普及と活用により食品ロスと廃棄を改善する余地が大いにあるのだ。民間・公共部門やNGOによる技術革新の取り組みのおかげで、世界中で現代的な農業ビジネスやコールドチェーン機器、慣行、プロトコルが利用されるようになっている。さらに、多くの「先端」技術も「適切な技術」に則って刷新されており、実際に一連のPHLの全段階における食品ロスを削減するために効率的に利用されている。発展途上国向けの温度・湿度管理（監視）が可能な倉庫やサイロの新たな設置はその１つの好例だ。その多くは、太陽光、風力など低炭素、無炭素エネルギーシステムによる動力によって運営されている。このような保管施設を正しく用いれば、先進国に近いレベルで食品ロスを削減することができ、食糧の入手可能性発展に大いに役立つ。</p>
<p><span>　</span>PHLの削減は生産量増加と同じ結果の実現につながる。そして多くの場合、それは生産量増加よりも易しい。拙稿がFood for thought（思考の糧）となれば幸いである。</p>
<p><small>This article was originally published on <a href="https://aeon.co/" target="_blank">AEON</a>. Read the <a href="https://aeon.co/ideas/there-is-a-simple-way-to-improve-the-worlds-food-systems" target="_blank">original article</a>.<br />
Translated by サンチェスユミエ</small><br />
<img loading="lazy" decoding="async" src="https://metrics.aeon.co/count/2a47119e-24fe-4dcb-9351-b0b9cfe847d7.gif" alt="Aeon counter – do not remove" width="1" height="1" /></p>
</div>]]></content:encoded>
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		<title>「グリット（やり抜く力）」を教えることは、子供たちにも民主主義にとっても悪影響があるのではないか</title>
		<link>https://newsphere.jp/national/20170711-1/</link>
		<comments>https://newsphere.jp/national/20170711-1/#respond</comments>
		<pubDate>Tue, 11 Jul 2017 00:00:23 +0000</pubDate>
		<dc:creator>NewSphere</dc:creator>
		<category><![CDATA[Society]]></category>

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		<description><![CDATA[著：Nicholas Tampio（フォーダム大学 Associate Professor of Political Science） 　グリット（やり抜く力）に関する話によると、アメリカの子供たちは、怠け者で、甘やかさ [&#8230;]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div class="wprt-container"><p>著：<a href="https://aeon.co/users/nicholas-tampio" target="_blank">Nicholas Tampio</a>（フォーダム大学 Associate Professor of Political Science）</p>
<p><span>　</span>グリット（やり抜く力）に関する話によると、アメリカの子供たちは、怠け者で、甘やかされ、世界経済で競争する準備ができていない。 学校は社会情緒的スキルをおろそかにしてその問題に貢献してきた。 よって解決策とは、学校側がアメリカの子供たちが大学やキャリアで成功できるよう、その気質を与えることである。 この話によると、政治家、政策立案者、企業の役員、そして親たちが、子供たちにはより多くの<a href="https://www.whitehouse.gov/the-press-office/2013/05/18/remarks-first-lady-martin-luther-king-jr-magnet-high-school-commencement" target="_blank">グリット</a>が必要であることに同意している。</p>
<p><span>　</span><a href="http://pss.sagepub.com/content/16/12/939.abstract" target="_blank">学問的</a>また<a href="https://www.ted.com/talks/angela_lee_duckworth_the_key_to_success_grit?language=en" target="_blank">通俗的</a>にグリットの概念を高めるために、おそらく他の誰よりもたくさんのことを行ってきた人物は、ペンシルベニア大学のポジティブ心理学センターのアンジェラ・ダックワース（Angela Duckworth）教授である。 彼女の新しい著書である「やり抜く力 GRIT(グリット)――人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける」では、グリットの概念と、人々がそれを自分自身や他者の中でどのように育てることができるかについて説明している。</p>
<p><span>　</span>ダックワース教授によると、グリットとは、長期的なプロジェクトを進める上での「障害を克服する能力」のことである。彼女の著書には、「グリッティーになるとは、興味深くて目的のあるゴールに固執することです。 また、来る日も来る日も、大変な練習に精力を注ぎ込むことであり、またそれは七転び八起きの精神です。」　と書かれている。彼女はグリットがあるがゆえに成功したミュージシャン、アスリート、コーチ、学者、ビジネスマンの名前を挙げている。 彼女の本は、生徒たちにグリットを繰り返し教え、評価する学校を望む政策立案者にとって恩恵となるだろう。</p>
<p><span>　</span>グリットであるのにも時と場所をわきまえる必要がある。 しかし、頭ごなしにグリットをほめたたえることは、愚かで質の悪い行動につながる可能性があるため、良くない。ダックワース教授の本には、おそらくしてはいけないことをやっているグリッティーな人がたくさん出てくる。</p>
<p><span>　</span>ポジティブ心理学の創始者であり、ダックワース教授の大学院の指導者であるマーチン・セリグマン（Martin Seligman）氏を例に挙げてみよう。 1967年の<a href="http://psycnet.apa.org/psycinfo/1967-08624-001" target="_blank">記事</a>では、セリグマン氏と彼の共著者が犬に関する一連の実験を記述している。 最初の日、犬はハーネスに入れられ、電気ショックを受けた。 片方のグループは、犬がパネルに鼻を押しつければ電気ショックを止めることができ、もう片方のグループは鼻を押しつけても電気ショックを止めることができない。 翌日、すべての犬はシャトルボックスに入れられ、再び電気ショックをあたえられるが、犬がさくを乗り越えればそれを回避することができた。最初の日に電気ショックを回避することができた犬のほとんどがさくを乗り越えたが、電気ショックを回避できるすべを与えられなかった犬のほとんどは挑戦しなかった。中には挑戦した犬もわずかにいたが。 ダックワース教授は、この話を大学の神経生物学のコースでの彼女自身の経験に反映している。 彼女は、「どうにもできない痛みの記憶があるにもかかわらず、希望を持ち続けた少数の犬のようになった」ため、コースを終えられたと判断している。 そのときのダックワース教授は起き上がって頑張り続けた犬のようだったのだ。</p>
<p><span>　</span>しかし、ダックワース教授は、セリグマン氏の研究の多くの動物がその後まもなく死亡したり、病気になったりしたことを決して懸念していない。 また、セリグマン氏は拷問に<a href="http://www.nybooks.com/articles/2016/04/21/learned-helplessness-torture-an-exchange/" target="_blank">反対だった</a>にもかかわらず、CIAは「学習性無力感」の理論を採用しさらに過酷な尋問を遂行した<a href="http://www.nybooks.com/articles/2016/02/25/the-psychologists-take-power/" target="_blank">可能性がある</a>ことにも触れていない。ダックワース教授は「グリッティーな悪人」が存在する可能性を認めているが、「グリッティーな英雄」はもっと多いとして、この懸念を否定している。 ただこの否定に根拠はなく、そしてそれは道徳観を単純化しすぎて、人々は無意識のうちに人を傷つける「悪人」になってしまうのだ。</p>
<p><span>　</span>ダックワース教授の本の第2の模範的グリットは、アメリカンフットボールチームのシアトル・シーホークス（Seattle Seahawks）をスーパーボウル大会で優勝に導いたコーチ、ピート・キャロル（Pete Carroll）氏だ。 キャロル氏はアシスタントコーチが「泣きごとも、不平も言い訳も禁止。」と繰り返して言ったというグリットの文化を作り出した。彼女はまた、シーホークスのデフェンシブバックであるアール・トーマス（Earl Thomas）氏が「素晴らしい強さ」でプレイしていることを賞賛している。</p>
<p><span>　</span>ダックワース教授が、プロ・フットボールでプレイすることによって引き起こされる長期的な害を詳述している映画やテレビ番組を見たり、記事を読んだりしたことがないことは明らかだ。 バラク・オバマ大統領も、もし自分に息子がいてもフットボールをプレイさせたくないと言ったことがある。ダックワース教授も、外傷性の脳損傷を患っているフットボール選手と話したことがあってもおかしくはないものだが。</p>
<p><span>　</span>ダックワース教授の第3の「グリット」の例は、JPモルガン・チェース（JPMorgan Chase）のCEO、ジェイミー・ダイモン（Jamie Dimon）氏である。彼の母校ではグリットをモットーとしており、ダックワース教授はJPモルガン・チェースが成功したのは指導者にグリットがあったからだと言っている。「2008年の金融危機でジェイミーは自分の銀行を安全に舵取りし、他の銀行が軒並み倒産していく中、JPモルガン・チェースはどうにか50億ドルの利益をあげた。」　この文の「どうにか」という言葉に根拠はない。 事実2008年に、トラブル資産救済プログラムがJPモルガン・チェースに250億ドルを提供しているのだ。一般に、ダックワース教授も彼女の本の主人公たちも、個々の成功を可能にしたり妨害したりするこういった政治的条件について詳しくは触れていない。</p>
<p><span>　</span>ダックワース教授は、もっとやっかいな例をたくさん挙げている。 米国で蔓延する肥満にいかに寄与しているかを反省していないシナボン社（大きなシナモンロールで有名な米国のチェーン店）のCEOや、読書嫌いなスペリング・ビー（単語の綴りの正確さを競う競技会）のチャンピオン。そしてビースト（野獣）と呼ばれる境界線ぎりぎりの通過儀礼に耐えなければならない陸軍士官学校の生徒たち。</p>
<p><span>　</span>なぜ、これらの人々は一度でも自分の行動に疑問を持たないのか？我々はダックワース教授が自身の著書に書いた「模範的グリットは行動指針を変えない」という事実をほめたたえるべきではない。 それは道徳的な失敗を示すかもしれない。 よく言われることだが、グリットの反対は「十分に考え、疑問に思って質問し、果てしない徒労をしない」ことである。</p>
<p><span>　</span>今日、次世代をグリッティーにしたいと思っているアメリカ人は多い。<a href="http://blogs.edweek.org/edweek/rulesforengagement/2015/12/core_districts__social-emotional_measures_to_inform_accountability_essa.html" target="_blank">カリフォルニア州</a>の学校区ではすでに、ダックワース教授のグリット調査の改訂バージョンを使用して、学校や教師がいかに生徒の「自己管理能力」を発揮できるようにしているのかをみている。ダックワース教授自身は、その計測ツールが信頼できないといって、学校をグリットで格付けすることに<a href="http://www.nytimes.com/2016/03/27/opinion/sunday/dont-grade-schools-on-grit.html?_r=0" target="_blank">反対</a>している。 しかしそれでは、指導者たちが民衆に仕事を続けることを期待する権威主義的政治に、グリット文化がどのように影響しているかという大きな問題を見落としてしまう。</p>
<p><span>　</span>民主主義には、自分自身と、しばしば十分な権威に挑戦する積極的な市民が必要である。 例えば、ボストンティーパーティー事件、セネカ・フォールズ会議、ワシントン大行進、あるいはこんにちのテスト拒否運動にどのような人々が参加したかを考えてみよう。それぞれのケースにおいて、一般庶民は、自分たちがどのように支配されているかに対する発言権を要求する。 ダックワース教授は命令に従わない人々を取り除く陸軍師範学校のビーストのような教育例をほめたたえている。 しかしそれは民主主義における教育の悲惨な例である。 アメリカの学校は、夢想家、発明家、反逆者、起業家を保護する義務があり、グリットという名でそれらをつぶしてはならないのだ。</p>
<p><small>This article was originally published on <a href="https://aeon.co/" target="_blank">AEON</a>. Read the <a href="https://aeon.co/ideas/teaching-grit-is-bad-for-children-and-bad-for-democracy" target="_blank">original article</a>.<br />
Translated by yoppo</small><br />
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		<title>職場の無礼行為はなぜ伝染し、止まらないのか？</title>
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		<pubDate>Fri, 07 Jul 2017 00:00:51 +0000</pubDate>
		<dc:creator>NewSphere</dc:creator>
		<category><![CDATA[Business]]></category>

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		<description><![CDATA[著：Trevor Foulk（フロリダ大学 PhD candidate in business administration） 　ほとんどの人は、職場の同僚たちから理由もなく無礼な扱いを受けた経験があるだろう。あなただけ [&#8230;]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div class="wprt-container"><p>著：<a href="https://aeon.co/users/trevor-foulk" target="_blank">Trevor Foulk</a>（フロリダ大学 PhD candidate in business administration）</p>
<p><span>　</span>ほとんどの人は、職場の同僚たちから理由もなく無礼な扱いを受けた経験があるだろう。あなただけ会議に呼ばれない。同僚がコーヒーを買ってくる――あなた以外の全員に。あなたが意見を言うと、笑われたり無視されたりする。あなたは不思議に思う。「なぜこんなことになっているのか？ 私は何かしたのか？ なぜ相手はこんなふうに私を扱うのだ？」と。非常に厄介なことには、それは何の前触れもなく起こる上、多くの場合、なぜそうなったのか全くわからないのだ。</p>
<p><span>　</span>現在進行中の大規模な研究に基づけば、それらの小さな出来事は「<a href="http://www.jstor.org/stable/259136?seq=1#page_scan_tab_contents" target="_blank">職場不作法</a>」あるいは「職場無礼」と呼称され、非常に一般的であるだけでなく、非常に有害でもあるようだ。職場無礼は、何もひとつの業界だけに限ったものではない。異なる文化を持った様々な国々の中の、実に様々な状況の中で、ずっと以前からそれは観察されている。</p>
<p><span>　</span>ほんのちょっとした侮辱、誰かを無視する、人の仕事を自分の手柄にする、あるいは職場内の友好関係から誰かを除外する――　「あいまいな攻撃意図を持った、強度の低い異常行動」と定義されるこれらの行動は、どうやら職場の至る所にあるらしい。ここでの問題は、その本来意味するところの「強度の低さ」にもかかわらず、職場無礼がもたらす否定的結果は決して小さくもなく些細でもない、ということだ。</p>
<p><span>　</span>無礼は「たいしたことではなく」、ただ単に皆が「乗り越えなければならない」ものだと信じるのは簡単だ。しかし、ますます多くの研究者が、これはまったく真実ではないということを発見し始めている。職場無礼を経験することは、パフォーマンスの低下、創造性の低下、および転職志向の増加に直結する。しかもここに言及したのは、職場無礼がもたらす数多くの否定的結果のごく一部に過ぎないのだ。状況次第では、この否定的結果はきわめて悲惨な形をとる。<a href="http://pediatrics.aappublications.org/content/early/2015/08/05/peds.2015-1385?sso=1&amp;sso_redirect_count=1&amp;nfstatus=401&amp;nftoken=00000000-0000-0000-0000-000000000000&amp;nfstatusdescription=ERROR%3a+No+local+token" target="_blank">最近の記事</a>によると、例えば、赤ん坊に治療を行う直前の医療チームが、ちょっとした侮辱を経験した場合、たったそれだけのことがチームの仕事を台無しにし、赤ん坊を死に至らしめる（というシミュレーション結果が出た）。そのような行動がいかに有害かを知ると、次に出てくる疑問は、「では、そういう行動はどこから来るのか？　また、人々はなぜそれをするのか？」だ。フォームの終わり</p>
<p><span>　</span>人々が無礼にふるまう理由は、おそらく山ほどあるだろう。私と同僚たちは最近、ひとまずそのうち一つの理由について、深く追究した。その理由とは、「無礼は<a href="http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/26121091" target="_blank">伝染力</a>を持つ」というもの。つまり、「誰かが人から無礼を経験すると、それが事実上の原因となり、その人自身がそれまでよりも無礼に行動する」という話だ。多くの物が伝染力を持つ。一般的な風邪はもちろん、笑顔、あくび、その他の単純な運動行動、さらには、感情も。（幸せな人の周りにいるとあなたも幸せを感じるのは、わかりやすい例だ。）そして今回判明したように、無礼な人の周りにいると、あなたも無礼になる。だが、いかなる仕組みで？</p>
<p><span>　</span>行動と感情が伝染するには、二つの経路がある。ひとつは、社会学習の意識的プロセスを通してだ。例えばあなたが、最近新しいオフィスに就職し、そこでは誰もが水筒を持ち歩いていることに気付いたとする。その場合、あなたもそれを持ち歩くようになるまでに、それほど長くはかからないだろう。このタイプの伝染は、普通は意識的なものだ。もしも誰かが、「なぜあなたは水筒を持ち歩くのか？」と尋ねたとしよう。あなたはおそらくこう答える。「他のみんながやっているのを見て、良いアイデアに思えたからです。」</p>
<p><span>　</span>もうひとつの伝染経路は無意識的だ。たとえば、誰かが微笑んだり、鉛筆でコツコツ叩いているのを見ると、ほとんどの人がそれらの単純な運動行動を模倣する、という研究結果がある。微笑したり、コツコツ叩いたりしはじめるのだ。もしそこで誰かが、「なぜ笑ってるの？　なぜコツコツ叩いてるの？」と、その理由を尋ねたとする。あなたは多分、「わからない」と答えるだろう。</p>
<p><span>　</span><a href="http://psycnet.apa.org/psycinfo/2015-28930-001" target="_blank">一連の研究</a>で、私と同僚たちは、無意識の自動経路を通して無礼が伝染力を持つという証拠を見つけた。ひとたびあなたが無礼を経験すると、無礼を処理する機能を担う脳の一部が「覚醒」する。あなたは無礼に対して少し敏感になる。これはつまり、あなたは周囲の無礼なほのめかしに対してそれまでよりも敏感になり、どのようにも解釈できるやりとりを、「無礼」と解釈しがちになるということだ。たとえば、 「ねえそれ、素敵な靴ね！」と誰かが言ったとする。普通ならあなたは、それを褒め言葉と解釈するだろう。ところが、あなたが最近、人から無礼を受けていた場合、あなたはその言葉を侮辱と解釈しがちになる。つまりあなたは、あなたの周囲により多くの無礼を「見る」ように――あるいは少なくとも、「見たと感じる」ようになる。さらには、彼らは無礼だとあなたが考えるほどに、あなた自身も他人に無礼にふるまいがちになるのだ。</p>
<p><span>　</span>どれくらい長くこの効果が続くのか、あなたは疑問に思うかもしれない。さらなる研究なしには、それを確かに言うことは不可能だ。だが、私たちが行った一つの研究では、いったん無礼を受けると、そのことが、以後7日にわたって無礼な行為を働く原因になることがわかった。大学のネゴシエーション（交渉学）コースで行われたこの調査では、被験者たちに、複数の異なる相手との交渉を行ってもらった。私たちはそこで、ある被験者が無礼な相手と交渉した場合、次回の交渉では、今度は逆にその被験者が相手から無礼と見なされる、という発見をした。この実験では、一部の交渉はタイムラグなしで続けて行われたが、次の交渉までに3日のタイムラグがある場合もあり、7日のタイムラグを置いた場合もあった。驚いたことに、タイムラグの有無はあまり重要でなく、少なくとも7日の期間、その効果は消えないらしいという結果が出た。</p>
<p><span>　</span>不幸にして、無礼は伝染力を持ち、しかも無意識的に行われるため、止めるのは難しい。それではいったい、私たちに何ができるのか？　私たちの研究は、「職場で許容される行動の種類を再検討すること」の必要性を強く指摘する。虐待、喧嘩や暴力など、より重大な逸脱行動は、その結果が露骨に見えるため、まずもって容認されない。より軽微な性質を持つ「無礼」は、その結果の観察が少し難しい。だがそれは間違いなく実在し、他に劣らず有害だ。したがって、そのような行動を本当に職場で許容してもよいかどうか、今、問い直す時かもしれない。</p>
<p><span>　</span>職場無礼を終わらせるなんて無理だと、あなたは思うかもしれない。しかし、職場の文化は変わりうる。かつて、職場のデスクで誰もが喫煙していた頃、「それは自然なオフィスライフの一部だから、取り除くなんて無理」と、誰もが言っていたのではなかったか？　ところが見回せば、職場での喫煙は、今はどこでも禁止だ。私たちはすでに「禁煙」と「差別」については、許容できないものと線引きした。その次に来るのは、「無礼」だろう。</p>
<p><small>This article was originally published on <a href="https://aeon.co/" target="_blank">AEON</a>. Read the <a href="https://aeon.co/ideas/why-rudeness-at-work-is-contagious-and-difficult-to-stop" target="_blank">original article</a>.<br />
Translated by Conyac</small><br />
<img src='https://metrics.aeon.co/count/ae0d0d42-a8f2-483b-a302-ea76ead1d310.gif' alt='Aeon counter – do not remove' width='1' height='1' /></p>
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		<title>ほめられることが、高価な代償だと感じられるのはなぜか</title>
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		<pubDate>Tue, 04 Jul 2017 00:00:44 +0000</pubDate>
		<dc:creator>NewSphere</dc:creator>
		<category><![CDATA[Society]]></category>

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		<description><![CDATA[著：Shivani Radhakrishnan（コロンビア大学 PhD student, legal and political philosophy, epistemology and ethics） 　現代文化では「 [&#8230;]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div class="wprt-container"><p>著：<a href="https://aeon.co/users/shivani-radhakrishnan" target="_blank">Shivani Radhakrishnan</a>（コロンビア大学 PhD student, legal and political philosophy, epistemology and ethics）</p>
<p><span>　</span>現代文化では「賛辞は惜しみなく！」という陽性強化がもてはやされるにもかかわらず、過度に称賛を口にする人は、相手に自然と不信感を抱かせてしまう。おそらく、彼らは人間関係の潤滑油となる言語的な手段を求めているのだろう。しかし、それが過度になると、警戒心がぬぐえなくなる。</p>
<p><span>　</span>その理由は簡単だ。次から次へと賛辞を浴びせられることで、不誠実さや隠れた本音が露呈することがある。そして、その賛辞への対応にも、本音が出てしまうことがある。小説家のマーク・トウェイン氏は著書「Pudd&#8217;nhead Wilson’s New Calendar」（1894年）の題辞として「貴賤相婚のような称賛を1度受けるよりも、率直な批判を12回浴びるほうが楽だ」と述べている。ここで興味深いのは、身分違いの二人が結婚することをあらわす「貴賤相婚」、つまり不均衡を示す言葉が使われていることだ。トウェイン氏は、賛辞を受け入れることに社会的不公正と不安感が含有されている点に注目しているのだ。</p>
<p><span>　</span>ほめられる側の人が、称賛を受け入れるのが非常に苦手、ということがある。ポジティブな評価をうまくかわすために、よく使われる戦略がいくつかある。もっとも鼻持ちならないのは、「そのジャケット素敵！」と言われてすぐに「あなたのドレスもいいね！」と返すような「ほめ返し」だろう。そしてそれに続くのが、「このボロのこと？ゴミ箱から拾ってきたようなものですよ！」のような、謙遜だ。</p>
<p><span>　</span>しかし、なぜ人は褒められると、辛くなるのだろうか？</p>
<p><span>　</span>シンプルに説明すると、一つには彼らが袋小路で行き詰まる、ということが挙げられるだろう。称賛を受けいれてしまうと謙遜の規範を犯すことになるが、それをかわしたり、否定したりすると、称賛の社会的機能を損うことになる。</p>
<p><span>　</span>これらはみな、部分的には正しいと言えるだろう。しかし、これでは、ほめられた人がなぜニュートラルな「ありがとう」という言葉が返せないのか、という理由を説明できていない。実際には、ありがとうと言ってしまうと、ほめ言葉を受け入れたことになり、必然的に相手に借りを作ってしまうことになる。市場取引を学ぶ者なら誰でも説明できることだが、ほめ言葉を受け取るだけ受け取って、何の見返りも提供しない、ということはあり得ないのだ。</p>
<p><span>　</span>ほとんどの場合、世の中が「ギブアンドテイク」で成り立っているという状況を人は十分に認識している。しかし、お返しを用意していない、というまれな状況に陥ってしまうと、人は罪悪感をおぼえることがある。フランス人哲学者のジャック・デリダ（Jacques Derrida）氏は、人は贈り物を受け取ることで、経済交流のサイクルにとらわれた債務者のような気分になることがあると考えた。人は義務を課せられることを好まず、不平等に気づいたらすぐにそれを解消しようとする。</p>
<p><span>　</span>フランクフルト学派の思想家、テオドール・アドルノ（Theodor Adorno）氏が懸念したように、私的な贈答行為は空虚な儀式となっている。少なくとも、仕方ないからしぶしぶ贈り物をする、というケースが存在することは否めない。これは、贈答行為そのものの問題というよりも、品物を選ぶことに関係してくる。贈答は義務のようなもので、それでいて世の中に広く受け入れられているものだ。もちろん、恋人や友人、家族にも贈り物をする。しかし、一方でホワイトエレファントギフトやシークレットサンタ（いずれも匿名のプレゼント交換）といったように、プレゼント選びを楽しいと思えるような身近な人間関係を超えたところでも、贈答習慣が存在する。</p>
<p><span>　</span>このような、たとえば、話したこともない同僚に贈り物をするという強制的なケースに備え、あらかじめ印刷済みのカードや商品ガイドが用意されているのだ。良く知る相手に送る場合でも、人は贈答にかかる労力を最小限にしたいと思うのだ。ある時、ある親戚が私にドライフルーツやナッツ、塩漬け肉が入ったギフトバスケットを贈ってくれた。送り主も私もベジタリアンなのだが。</p>
<p><span>　</span>「ギブアンドテイク」を遂行すること自体が贈答の目的となり、相互取引の色合いを強めているとするなら、賛辞についても同じことがいえる。</p>
<p><span>　</span>「賛辞にお返しをして義務を果たす」もしくは「罪悪感に見舞われるか」という選択が強要されるのは、我々の属している社会が、商品やその取引を中心に構築されていることに由来する。問題は、もし称賛を取引だとするなら、我々がそれを「借り」だと感じるのも自然なことだ。しかし、我々が賛辞についての考え方を完全に克服できると仮定した場合、生活の社会的、経済的形態についても再考しなければならない。これは難題だが、それこそがアドルノ氏やデリダ氏が望んでいた「真の贈り物」なのかもしれない。</p>
<p><small>This article was originally published on <a href="https://aeon.co/">AEON</a>. Read the <a href="https://aeon.co/ideas/why-receiving-compliments-can-feel-like-a-high-price-to-pay">original article</a>.<br />
Translated by isshi via Conyac</small><br />
<img src='https://metrics.aeon.co/count/6e2f9202-4ee3-46a0-bf11-e00005f883ef.gif' alt='Aeon counter – do not remove' width='1' height='1' /></p>
</div>]]></content:encoded>
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		<title>学校が全般的な批判的思考スキルを教えるべきではない理由</title>
		<link>https://newsphere.jp/national/20170703-4/</link>
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		<pubDate>Mon, 03 Jul 2017 11:00:25 +0000</pubDate>
		<dc:creator>NewSphere</dc:creator>
		<category><![CDATA[Society]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://newsphere.jp/?p=31586</guid>
		<description><![CDATA[著：Carl Hendrick（ウェリントン大学 Head of learning and research） 　航空管制官の仕事は大変だ。管制官にとって重要なのが「状況認識」という認知能力だ。ここには「環境情報を継続的 [&#8230;]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div class="wprt-container"><p>著：<a href="https://aeon.co/users/carl-hendrick" target="_blank">Carl Hendrick</a>（ウェリントン大学 Head of learning and research）</p>
<p><span>　</span>航空管制官の仕事は大変だ。管制官にとって重要なのが「状況認識」という認知能力だ。ここには「環境情報を継続的に抽出すること（および）その情報と予備知識を統合することで理路整然としたイメージを形成する」という意味合いが<a href="http://www.dtic.mil/docs/citations/ADA284752" target="_blank">含まれる</a>。</p>
<p><span>　</span>24時間のシフト勤務中、絶えず頭の中で流動的な情報を大量に保持し、極度のプレッシャーの下、生死にかかわる判断をし続けなければならない。この仕事は非常にストレスフルで、精神的な負担も大きいため、ほとんどの国で航空管制官に早期定年退職が認められている。アメリカでは、例外なく56歳で定年退職しなければならない。</p>
<p><span>　</span>1960年代、航空管制官の知能に関する一連の興味深い<a href="http://psycnet.apa.org/psycinfo/1961-01392-001" target="_blank">実験</a>が行われた。研究者チームが知りたかったのは、彼らの「一度に多くのことを把握する」という全般的な能力が強化されているか否か、そしてそのスキルが他の状況にも移行できるか、ということだった。彼らの仕事中の様子を観察したのちに、研究者チームは航空交通管制官に形と色を用いた記憶力テストを一通り受けてもらった。</p>
<p><span>　</span>驚くことに、専門外のスキルテストでは、航空管制官の成績も他の人と変わらなかった。彼らの非常に優れた認知能力が、専門分野を超えて移行することはなかったのだ。</p>
<p><span>　</span>しかし1980年代初めから、学校は学生が現代世界、特に現代の雇用市場で活躍するため、彼らに一連の一般的な思考スキルを身に付けさせなければならない、という考えにこれまで以上にとりつかれるようになった。</p>
<p><span>　</span>「21世紀の学習スキル」や「批判的思考」など、呼称はさまざまだが、その目的は、あらゆる領域に適用できる、全般的な問題解決アプローチを学生に身に付けさせることだ。これらは21世紀を生きる上で重要な能力だとして、ビジネスリーダーからも称賛されている。当然我々は子どもや新社会人に、世の中を渡っていく上での道しるべとなるような、多目的の認知ツールを持っていてほしいと願う。そう考えると、我々が「そういうものは教えられて身につくものなのか」という疑問に批判的思考を適応できなかったことが残念だ。</p>
<p><span>　</span>1960年代に行われた航空管制官の研究が示唆したように、特定の領域に秀でるには、その分野の知識をしっかり身に付ける必要がある。そしてそのスキルを別の領域に移行するのは容易ではない。特殊技能を伴う複雑な専門知識ならなおさらだ。のちの<a href="http://psycnet.apa.org/psycinfo/1994-43905-001" target="_blank">研究</a>でわかることだが、複雑な領域であるほど、その領域固有の知識が重要となる。</p>
<p><span>　</span>認知能力の移行が不可能だということは、心理学の研究で十分に確立されており、何度も反復されている。たとえば、他の<a href="http://link.springer.com/article/10.1007/s10648-013-9243-1" target="_blank">研究</a>では、何桁もの数字を記憶する能力が、長い文字列を記憶する能力に移行しないことが示されている。もちろん、この話を聞いても我々は驚かない。プロとしては「賢い」人が、私生活で愚かな決断をすることがよくあることを知っているからだ。</p>
<p><span>　</span>ほとんどすべての分野で、スキルレベルが上がるほど、専門性が具体的になる傾向がある。たとえばサッカーチームならゴールキーパー、ディフェンダー、アタッカーなど、それぞれの「ドメイン」つまりポジションがある。さらにその中にセンターバック、フルバック、攻撃的ミッドフィールダー、守備的ミッドフィールダー、アタッカーなど細かいカテゴリに分かれる。</p>
<p><span>　</span>今、多くのアマチュア選手が試合を楽しむ分には、ポジション移動をするのも問題ないだろう。しかし、プロレベルでは左のフルバックにいる選手をストライカーの位置に、もしくはセンターミッドフィールダーの選手をキーパーにしたら、彼らは途方に暮れることになるだろう。彼らが秒単位で完璧な判断を下し、強固で効果的な戦略を立てるには、何千という具体的なメンタルモデルが必要であり、そういったモデルを構築するには何千時間も練習しなければならない。</p>
<p><span>　</span>もちろん、批判的思考は学生の知力に欠かせない機能だ。ただし、それを文脈無しで身に付けることはできない。他のカリキュラムと切り離して、全般的な「思考スキル」を学生に教えることは無意味であり、効果的でない。アメリカの教育者ダニエル・ウィリンガム（Daniel Willingham）氏は次のように<a href="http://www.tandfonline.com/doi/abs/10.3200/AEPR.109.4.21-32" target="_blank">話す</a>：</p>
<p><span>　</span>学生に対して「一つの問題をさまざまな視点から見るように」と何度も念を押しておけば、そうすべきなのだ、とわかるだろう。しかし、対象となる問題について知識が足りなければ、複数の視点から考えるなどということはできない。批判的思考は（科学的思考や他の領域ベースの思考も同様に）スキルではない。文脈にかかわらず習得し、展開できる批判的思考スキルなど存在しないのだ。</p>
<p><span>　</span>認知的理想を文脈的知識から切り離す行為は、批判的思考の学習に限った話ではない。自らの使命の中心に「21世紀の学習スキル」を置くことを誇りとする学校もある。これらの不明瞭なスキルの一部が今や識字率同様に重要であり、同じ地位を与えられるべきだ、という<a href="https://twitter.com/danieldmccabe/status/789794853752344576/photo/1" target="_blank">提案もなされている</a>。その一例が、脳トレーニング（脳トレ）<a href="https://aeon.co/essays/there-s-a-better-way-to-get-smarter-than-brain-training-games" target="_blank">ゲーム</a>だ。これは子どもの知能を高め、注意力を増し、学習スピードを高めると言われている。</p>
<p><span>　</span>しかし最近の研究では、脳トレゲームをやっても、単にそのゲームが上達するだけ、ということがわかっている。脳トレをやれば、学生は全般的な問題解決スキルを獲得できる、という主張が誤っているということが最近、130件以上の論文を再調査した<a href="http://psi.sagepub.com/content/17/3/103.full#content-block" target="_blank">研究</a>によって暴かれた。</p>
<p><span>　</span>各分野の専門的な中身を欠いた状態で認知スキルを鍛えたところで、認知力、学力、専門的な能力、そして社会的能力が広く改善するといった証拠がないことは我々もわかっている。</p>
<p><span>　</span>（生まれ持った才能とは対極の意志と努力に焦点を当てる）「成長志向」や「<a href="https://aeon.co/ideas/teaching-grit-is-bad-for-children-and-bad-for-democracy" target="_blank">根性</a>」（逆風に負けない決意）などの「気質」を教える、という場合も同じことがいえる。こういった「気質」というのは教えられるものなのかどうか、はっきりしない。また、特定の問題を考慮しないままこれらを教えても、その効果を示す証拠はなにもない。</p>
<p><span>　</span>一般的な批判的思考スキルを教えるのではなく、学生が個々のテーマについての知識を広げ、それぞれにユニークで複雑な謎を解き明かしていけるように、個々の対象（専門的な批判的思考スキル）に注力するべきだ。</p>
<p><span>　</span>たとえば、文学の学生が「フランケンシュタインの著者であるメアリー・シェリー氏は生まれてすぐ母親が他界している」ということ、さらに「彼女自身幼い子供を何人も亡くしている」という事実を知っていたとする。すると、その学生は、ビクター・フランケンシュタインが死から生命を生み出すことにこだわったこと、そしてそれを描写する言葉を、予備知識がない場合よりも深く理解することができる。</p>
<p><span>　</span>また、物理学の学生が「なぜ2つの飛行機が、フライト時にそれぞれ異なった飛び方をするのか」という研究をおこなうとしよう。その学生は科学的見地から「批判的に思考する」ことができるかもしれない。しかし、外気温といった不確定要素の知識や過去のケーススタディを用いない限り、その学生はどの仮説に注目すれば良いか、そしてどの変数を使って計算すれば良いのか、悪戦苦闘することになる。</p>
<p><span>　</span>前述のウィリンガム氏は「思考プロセスは、その思考内容と結びついている」と記している。もし教師が学生の考え方に影響を与えたいと思うなら、その学生が思考できるような、世の中にあるリアルで重要な事柄を提示する必要がある。</p>
<p><small>This article was originally published on <a href="https://aeon.co/" target="_blank">AEON</a>. Read the <a href="https://aeon.co/ideas/why-schools-should-not-teach-general-critical-thinking-skills" target="_blank">original article</a>.<br />
Translated by isshi via Conyac</small><br />
<img src='https://metrics.aeon.co/count/d83d701b-0136-45ae-90ad-071f972d57c4.gif' alt='Aeon counter – do not remove' width='1' height='1' /></p>
</div>]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>「ケモフォビア （化学物質恐怖症）」という間違った概念に潜む危険 私たちはどう対処すべき？</title>
		<link>https://newsphere.jp/culture/20170703-2/</link>
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		<pubDate>Mon, 03 Jul 2017 02:00:18 +0000</pubDate>
		<dc:creator>NewSphere</dc:creator>
		<category><![CDATA[Culture]]></category>

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		<description><![CDATA[著：James Kennedy（VCE Chemistry Teacher, Haileybury） 　私たち人間は自然界と密接に関わり合って生きている。誰もが抱くこの感覚を、E.O.ウィルソン氏は「人間以外の生命との繋 [&#8230;]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div class="wprt-container"><p>著：<a href="https://aeon.co/users/james-kennedy" target="_blank">James Kennedy</a>（VCE Chemistry Teacher, Haileybury）</p>
<p><span>　</span>私たち人間は自然界と密接に関わり合って生きている。誰もが抱くこの感覚を、E.O.ウィルソン氏は「人間以外の生命との繋がりを求める本能」であるとし、バイオフィリアと名付けた。このような繋がりの感覚を持つことで、精神的に大きな満足感を得ることができ、怒り、不安、苦痛が和らぐ。私たちは私たちを取り巻く環境と生態系に依存して生きている。私たち人間が生きていく上で、自然界との繋がりが重要であることは疑いようもない。しかし最近になってこのバイオフィリアが極端化し、別の概念が生まれた。それが<a href="https://jameskennedymonash.wordpress.com/category/chemophobia/" target="_blank">ケモフォビア (化学物質恐怖症) </a>だ。ケモフォビアは、現在様々な場面で使用されている化学合成物質に対する反射的な拒絶反応である。</p>
<p><span>　</span>ケモフォビアが生まれるきっかけとなったのが、現代の環境保護運動である。その中でもレイチェル・カーソン氏が発表した『沈黙の春』(1962年) の影響は大きい。『沈黙の春』では化学物質について、「まだ広く知られていないが、放射線と同じように邪悪で…生命体の内部に入り込み、次から次へと伝播し、その毒により死の連鎖を招く」とまるで悪魔のように書かれている。カーソン氏の言葉は大きな反響を呼び、無鉛ガソリンの開発や、アメリカ大気浄化法の制定、ジクロロジフェニルトリクロロエタン (DDT) の禁止を始めとする重要な環境保護対策の推進に貢献した。このような化学物質反対運動により私たちを取り巻く環境は大きく改善された。しかし運動が極端化した結果、今ではすべての合成化合物質が汚染されたものであると考える人も少なくない。この間違った思い込みが世に広がったせいで、「天然」や、さらには「ケミカルフリー」などを売りにする商品の需要が高まることとなったのである。</p>
<p><span>　</span>実際に「天然」のものを化学的に見てみると、私たちが研究室で作ることができるどんなものよりもその成分は複雑である場合が多い。それを実証するために、どこにでもある<a href="https://jameskennedymonash.wordpress.com/2013/12/12/ingredients-of-an-all-natural-banana/" target="_blank">バナナ</a>の成分を分析してみた。(何千種もの成分が含まれているので、DNAなど含有量の少ない成分は省略した。) その結果は以下の通りだ。</p>
<p><small>バナナの成分：水 (75%)、糖分 (12%) (グルコース (48%)、フルクトース (40%)、スクロース (2%)、マルトース (&lt;1%))、デンプン (5%)、繊維素E460 (3%)、アミノ酸 (&lt;1%) (グルタミン酸 (19%)、アスパラギン酸 (16%)、ヒスチジン (11%)、ロイシン (7%)、リジン (5%)、フェニルアラニン (4%)、アルギニン (4%)、バリン (4%)、アラニン (4%)、セリン (4%)、グリシン (3%)、トレオニン (3%)、イソロイシン (3%)、プロリン (3%)、トリプトファン (1%)、シスチン (1%)、チロシン (1%)、メチオニン (1%))、脂肪酸 (1%) (パルミチン酸 (30%)、オメガ6脂肪酸：リノール酸 (14%)、オメガ3脂肪酸：リノレン酸 (8%)、オレイン酸 (7%)、パルミトレイン酸 (3%)、ステアリン酸 (2%)、ラウリン酸 (1%)、ミリスチン酸 (1%)、カプリン酸 (&lt;1%))、灰分 (&lt;1%)、植物ステロール、E515、シュウ酸、E300、E306 (トコフェロール)、フィロキノン、チアミン、色素 (イエロー・オレンジ系 E101 (リボフラビン)、イエロー・ブラウン系E160a (カロテン))、香料 (3-メチルブタン-1-ylエタノール、2-メチルブタンエタノール、2-メチルプロパン-1-オール、3-メチルブタン-1-オール、2-ヒドロキシ-3-メチル酪酸エチル、3-メチルブタナール、ヘキサン酸エチル、酪酸エチル、酢酸ペンチル)、1510、天然成熟剤 (エテンガス)</small></p>
<p><span>　</span>分析の結果、バナナにどのような成分が含まれているのか知ることができたが、それよりもさらに重要な問題が見えてくる。含有物を詳しく見てもバナナのような天然物と、人工的に合成した化学物質の違いは不明瞭であるどころか、そもそも違いなど存在しないのである。ある物質が合成されたものだから危険であるとは言えない。反対に天然物だから安全だとも言えないのである。例えばボツリヌス毒素はハチミツの中に生息する微生物が産生する毒素だが、鉛の13億倍も高い毒性を持つ。乳児にハチミツを与えてはいけないと言われているのはこのためだ。さらにリンゴの種は1カップで大人を殺せるだけの天然シアン化合物を含んでいる。天然の化学物質も、摂取量と使用法次第で健康にいい場合もあれば単に無害であることもあるし、毒にもなり得るのだ。それは合成化学物質と全く同じである。化学物質の安全性を評価する時に「天然」かどうかで判断するようなことは決してあってはならない。</p>
<p><span>　</span>天然化合物と合成化合物に関するこのような誤解が、深刻な事態をもたらす場合もある。ホルムアルデヒドに対する懸念がその例だ。ホルムアルデヒドは果物、野菜、肉、卵、枝葉などで自然に発生する。様々な食品にホルムアルデヒドが含まれており、濃度の高い食品として北京ダック (120ppm)、スモークサーモン (50ppm)、加工肉 (20ppm) などが挙げられる。古くからこれらの食品を加工する過程で燻製が行われているので、ホルムアルデヒドが発生するのはおかしなことではない。人間の体内にも健康な人で約2ppm程度のホルムアルデヒドが存在しており、DNAの生成において重要な役割を担っている。さらに様々な産業分野においても防腐剤としてホルムアルデヒドが使用されている。</p>
<p><span>　</span>「天然」のホルムアルデヒド発生源はいたるところにあり、私たちはそれを無意識のうちに受け入れている。しかしワクチンや化粧品に微量の「合成」ホルムアルデヒドが使用されているとわかると、どちらのホルムアルデヒドも化学的にはCH<sub>2</sub>Oで全く同じものであるにも関わらず、消費者から抗議が殺到する。このような抗議を受け、2013年にジョンソン・エンド・ジョンソン社が1,000万ドル超を費やしスキンケア関連商品の改質を行ったという事例がある。問題となった商品のホルムアルデヒド含有量はほんのわずかで、平均的な人であれば1日あたり4,000万回使用しなければ深刻な健康被害は全く起こらない程度であった。それにも関わらず、同社は改質を行わざるを得なかったのである。</p>
<p><span>　</span>ワクチンに含まれるホルムアルデヒドもごく少量である。その含有量 (100µg) はナシ1個 (12,000µg) の1/80程度しかないにも関わらず、「合成」ホルムアルデヒドが心配だからとワクチンの接種を拒む人もいる。ワクチン中のホルムアルデヒドは非常に少なく、子どもの血液に含まれる (「天然」の！) ホルムアルデヒドと濃度を比べても、その差は測定できないくらいだ。このようにワクチンには害のない程度のホルムアルデヒドしか含まれていないにも関わらず、ワクチンの接種を拒否する人がいるために、防ぐことができたはずの死を招くような事態が多く起こっている。例えばカリフォルニアやドイツ、ウェールズの一部地域における麻疹の流行が記憶に新しい。</p>
<p><span>　</span>化学物質に対する恐怖の蔓延を食い止めるのは難しい。しかし不可能ではない。科学界ではケモフォビアをホモフォビア (同性愛者嫌悪) やゼノフォビア (外国人嫌悪) と同様の「非臨床的な先入観」と位置付け、医学的な恐怖症とは違い、物事の理解の仕方に基づく嫌悪感であるとしている。ケモフォビアをこのように捉えると、わずかではあるが有望な対処法が見えてくる。</p>
<p><span>　</span>まずは学校での対策が重要だ。高校、大学の化学教師は、研究室が汚染物質を作っている汚い場所だというイメージを払拭する必要がある。「汚染が怖くて研究室で食事ができないのなら、研究室で作られる食品が安全なはずないですよね？」と言ってくれた生徒がいる。化学の授業を通し、化学的な安全性について真剣に教えることが私たち化学教師の本分であり、義務である。私たちはこの責務を疎かにはできない。それだけでなく教師は安全性を証明してみせることができるのだ。私たちは企業の行っている品質管理と、その精製技術について、生徒に教えるべきだ。そして企業が消費者に安全性の保証された商品を届けるまでには、極めて高度な純度基準をクリアしなければならないことを理解してもらう必要がある。</p>
<p><span>　</span>消費者に対しても「天然」の商品が必ずしも安全ではないという知識を広めることで、本当に健康的な商品を賢く選択できるようになる。企業側にも広告表現の規制を強化することが重要だ。「天然」や「オーガニック」を売りにしたパーソナルケア商品のほとんどが、「合成」化学物質を使用した商品より高い安全性を実証できていないにも関わらず、2020年にはそのような商品の世界的な市場規模が160億ドルにも達する見込みだ。本来、「ピュア」という言葉は1種類の成分のみにより作られた商品にしか使用できない。商品に「天然」と表記するのであれば、自然に発生したままの状態で販売しなければならない。そのため化粧品を始めとする様々な商品の広告表現として「天然」という言葉を使用するのは禁止するべきだ。そしてさらに「ケミカルフリー」という論理的にあり得ない言葉を商品ラベルに掲載するのは止めるべきである。</p>
<p><span>　</span>ケモフォビアは今や世間に深く根付いた概念となっている。私たちは強制的にリスクにさらされると、合理性を無視してでもその程度を過大評価しがちな生き物だ。アメリカ人が心臓病で死亡するリスクは、テロに巻き込まれて死亡するリスクの<a href="http://www.globalresearch.ca/the-terrorism-statistics-every-american-needs-to-hear/5382818" target="_blank">35,000倍</a>とされる。しかしテロは私たちが最大の恐怖とするもののひとつとなっている。化学物質によるリスクをより冷静に、もっと健康的に評価できるようになるためには、化学と毒学についての理解を深める他ない。そして私たち人間は、私たちを取り巻くすべてのものと化学的に繋がっているという意識を多くの人が持つようになれば、ケモフォビアを本来のバイオフィリアに戻すことができるだろう。</p>
<p><small>This article was originally published on <a href="https://aeon.co/" target="_blank">AEON</a>. Read the <a href="https://aeon.co/ideas/chemophobia-is-irrational-harmful-and-hard-to-break" target="_blank">original article</a>.<br />
Translated by t.sato via Conyac</small><br />
<img src='https://metrics.aeon.co/count/42cdaff2-5bbe-409c-817e-700bcfc9d9f2.gif' alt='Aeon counter – do not remove' width='1' height='1' /></p>
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		<title>死者の遺志を、生者の意思よりも優先させることは倫理的であるのか？</title>
		<link>https://newsphere.jp/national/20170629-1/</link>
		<comments>https://newsphere.jp/national/20170629-1/#respond</comments>
		<pubDate>Thu, 29 Jun 2017 00:00:54 +0000</pubDate>
		<dc:creator>NewSphere</dc:creator>
		<category><![CDATA[Society]]></category>

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		<description><![CDATA[著：Barry Lam（ヴァッサー大学 associate professor of philosophy, デューク大学  Humanities-Writ Large fellow） 　もし、すべての人間が死亡後も選挙 [&#8230;]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div class="wprt-container"><p>著：<a href="https://aeon.co/users/barry-lam" target="_blank">Barry Lam</a>（ヴァッサー大学 associate professor of philosophy, デューク大学  Humanities-Writ Large fellow）</p>
<p><span>　</span>もし、すべての人間が死亡後も選挙に一票を投じることができるとしたら、その国はどのようになるか想像してもらいたい。遺書の中にあなたの希望を書きとめておけば、保守党、自由党、アジア人候補者、もしくは白人分離主義者というように、全ての選挙に永久的に投票可能で、あなたの一票が生者の一票と対等に扱われる。もし、死者の遺志を執行するような法律基盤が確立されたとしたらどうなるか、想像してもらいたい。死者の遺志が、生者のニーズや将来世代の福祉と相反するような際にも、その法律は死者の遺志を尊重することを支持するのかもしれない。</p>
<p><span>　</span>私達は圧倒的に正しい倫理観により、このような社会を認めません。私達は、生者の政治制度に影響をもたらすような権利は死によって喪失されると信じます。しかしながら、このような倫理判断は、政治的には明確であっても、論点を富に移すと不明瞭になります。故人の遺志を実現するための巨大な産業が存在し、ずいぶん前に亡くなった富裕層の遺志を実現するために、寄付、慈善信託、ダイナスティ信託や相続法などを通して、米国経済における何兆ドルものお金や、さまざまなレベルに及ぶ多くの法的機関が手いっぱいな状況である。英国もおくれを取ってはいない。貧富の差が大きくなるにつれ、今日の富裕層は将来の経済で回るであろう多額のお金までも自分たちの現在希望する用途に割り当てている。このような取り組みはエリート制度文化に深く根付いたもので、世間にも定着しており、人目につかない法律雑誌や慈善団体くらいしか、その公正に関して懸念を述べるものもない。</p>
<p><span>　</span>米国では、富裕層は死後も富を所持し、増やします。そして国家は、故人の支出に関する遺志をさまざまな方法で執行します。例えば、あなたの孫があなたと同じ宗教に所属している人と結婚することや、あなたの名前が学校に付けられる事になった際には、学校が経済的に破綻してしまうことになった際でも、名前を変更することを禁じるなどが遺産相続の際の条件となり得ます。もしくは、個人が現在そして将来持ちうる財産を、子孫のために非課税のトラストに確保することができる。この非課税のトラストでは、資金は増積され、また債権者から永久的に保護される。三つ目の法的手段は慈善信託であり、これにより信託人は、生きている間、そして死後の財産を“慈善“とみなされる目的のために割り当てることができる。この”慈善”とみなされる目的は幅広く、捨てられたモルモットのケアから、ヒューイ軍用機の保存まで様々なものが含まれる。病院や美術館、博物館、大学等の非営利施設等も亡くなった資金提供者達の遺志を反映するために、支出の大きな割合を束縛されている。これらの遺志とは、超心理学に寄付教授職を設けることや、建物の一部をアメリカの南部連合支持者を先祖に持つ個人の住居と当てる等である。</p>
<p><span>　</span>これらの慣習は再考してみると不可解なものである。社会の中でこれが善いとされる考えは、社会事情の変化に応じて変化されるべきである。がん研究への財政的支援はがんが存在する社会においてのみ善しとされる。遠く離れた子孫に巨額の富を与えるのはよいが、その子孫が社会病質者であった場合には善しとされるべきではない。にも関わらず、私達は現代社会のことなどもはや知る由もなく、この遺志による支出から利益も損害も受けることのない故人に選択の権限を委ねているのだ。</p>
<p><span>　</span>実際のところ、死者が死後の社会に影響を及ぼすような権利を喪失するという考えは、私達の倫理感に近いものであり、この考えは法律の至る所に反映されている。あなたが、配偶者にあなたの死後も再婚をしてもらいたくないと思っていても、国家はそれを強制はしない。もしも、あなたの配偶者があなたの死に際にそれを約束したとしても、その配偶者がその約束を破ることは法的には違法ではない。企業において、その会社の創設者が、会社の将来像に関して強い意向を持っていたとしても、その創設者の死後にはその意向を実施することを企業は義務とする必要はない。このような人の死後の願望は、私達が今何をすべきかという議論においては、ほとんど影響力を持たない。また、私達はこのような願望を優先させるために法的機関を設置したわけでない。</p>
<p><span>　</span>しかしながら、個人の財産に関する遺志に関しては、私達は様々な権利を与えている。このような故人の財産を加算するとおよそ何兆にも達し圧倒される。現在の富の不平等な状態と、故人の遺志を執行する現行の慣習が続くことを考えると、将来の経済は、生者の大多数の意思よりも、過去の上流階級の遺志を反映するものになりうる。死者の遺志を尊重しすぎることで、深刻な世代間の経済的不平等を招きかねない。</p>
<p><span>　</span>現在の慣習の皮肉な点は、生者の福祉を妨害している責任が、生者自身にあるということだ。もし私達がこれらの慣習を変更したとしても、死者は文句を言うことはない。そもそも生者の制度であり、その制度により自分が苦しむことになったとしても、正直なところ死者の遺志のことで死者を責めることは出来ない。私達は慈善目的の支出を奨励するための永久信託を必要としない。ビルゲイツのような昨今の慈善家は、人の生きている間に行った慈善活動だけでも大きな影響をもたらすことが可能だと考える。この考えが、ギビング・プレッジの基盤となっている。</p>
<p><span>　</span>それならば、私達はなぜいまだに死者にこのような永久的な権利を与えているのか？私達は誤った倫理的責任から、まるで愛する者と死に際に約束をしたかのように、死者の遺志を尊重しているのではないかと考える。しかし、死に際の約束は無条件なものではなく、永遠のものでもなく、自己本位の、経済的若しくは倫理的に、私達の生活を犠牲にしたうえで成り立つものであってはならない。死に際の約束は、むしろ生者との約束のようなものであるべきだ。もし、自分の子どもに飴をあげると約束したにも関わらず、自分は悪いわけではないのだが、唯一入手可能な飴を入手することで現在の飴の持ち主に倫理的に深刻な犠牲を伴うことになってしまう場合は、この約束を義務と感じ実行する必要はない。約束自体は倫理的価値を持つが、他の倫理的要因を上回るほどの価値はもたない。</p>
<p><span>　</span>現在、死に際の約束を絶対的なものとするもう一つの理由は、私達は、死ぬことにより長年にわたる影響力を失うことに耐えられず、自己の利益や価値観が自分の死後も維持されたいという自己本位の願望を持っているものであるからである。この怖れを克服し、自分達の遺志も保証するために、現在の法的機関が死者の遺志を尊重することを許可しているのである。しかし、この慣習は空虚で自己陶酔であることを認識し、生者にとって一番善いことを、生者自身が決定して、実行することが必要である。</p>
<p>This article was originally published on <a href="https://aeon.co/" target="_blank">AEON</a>. Read the <a href="https://aeon.co/ideas/is-it-moral-to-respect-the-wishes-of-the-dead-above-the-living" target="_blank">original article</a>.<br />
Translated by Conyac<br />
<img src='https://metrics.aeon.co/count/984b50d1-0d97-4a38-b994-5a95e25915ae.gif' alt='Aeon counter – do not remove' width='1' height='1' /></p>
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		<title>なぜ、最もできる生徒は学校が嫌いなのか？</title>
		<link>https://newsphere.jp/national/20170628-1/</link>
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		<pubDate>Wed, 28 Jun 2017 00:00:04 +0000</pubDate>
		<dc:creator>NewSphere</dc:creator>
		<category><![CDATA[Society]]></category>

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		<description><![CDATA[著：リー・ジヒョン（ニューサウスウェールズ大学 Associate Professor in the School of Education） 　成功するためには情熱がなければならない。多くの人々がそう信じている。情熱は [&#8230;]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div class="wprt-container"><p>著：<a href="https://aeon.co/users/jihyun-lee" target="_blank">リー・ジヒョン</a>（ニューサウスウェールズ大学 Associate Professor in the School of Education）</p>
<p><span>　</span>成功するためには情熱がなければならない。多くの人々がそう信じている。情熱は挑戦を楽しみに変え、勝つために必要なスタミナを与えてくれる、と。ところが、情熱は必ずしも成功のための必須要素ではないことを示す、非常に興味を引く反例がある。その一例は、学業での成功だ。成功する生徒ほど学校教育に対する熱意を持っており、この熱意こそが、少なくとも部分的には、なぜある生徒が成功し、ある生徒はしないのかの説明理由になるだろう――　あなたはそう思うかもしれない。けれどもこれは正しくない。私の<a href="http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S1041608016302102" target="_blank">研究</a>で判明したのは、生徒の学業成績と彼らの学校教育に対する態度には、じっさい何の関係もないということだ。生徒は、学業成功のために学校に対して熱意を持つ必要はないのである。</p>
<p><span>　</span>私の研究成果は、国際学生評価プログラム（PISA）と呼ばれる大規模な国際的データベースの分析から得たものだ。経済協力開発機構（OECD）は、3年ごとにこのデータを公表している。私のような研究者にとって、このデータはまさに宝の山だ。世界中の生徒たちが自分たちの教育についてどう考えているかを見るための、比類ない視点を与えてくれる。最も新しいPISAの2015年調査には、世界72の国と地域が参加した。読解・数学・理科のテストとあわせ、態度、信念、学習習慣などに関するアンケートを、世界中の15歳の各国代表サンプルに対して実施した。この調査の中で、学校に対する生徒たちの態度を測るため、<a href="http://www.oecd-ilibrary.org/education/learning-for-tomorrow-s-world_9789264006416-en" target="_blank">4つの単純な選択肢</a>が用意された。</p>
<p>（a）学校は、卒業後の社会人生活のための準備をするのに、ほとんど役立っていない<br />
（b）学校は時間の無駄だ<br />
（c）学校は、自分で何かを決めるための自信を与えてくれた<br />
（d）学校は仕事に役立つことを教えてくれた</p>
<p><span>　</span>結果が示すように、生徒の学業成績と彼らの学校に対する態度との間の単純な直接相関は、ほぼゼロだった。が、この結果は特に異常でも何でもない。ほぼゼロという結果は、PISA の2003年調査、2009年調査、そして2012年調査でも、やはり同じように出ている。生徒の社会経済的背景に関しては、まったく差異はなかった。男女の性差も結果には影響せず、ほぼ同じ結果が、発展途上国と先進国の両方にあてはまった。 62カ国において、<a href="http://www.oecd.org/pisa/keyfindings/pisa-2012-results-volume-iii.htm" target="_blank">PISAの数学テストの成績</a>と学校に対する生徒の態度との相関は、たったの2％に過ぎなかった。これはつまり、ほとんどの国において、学力の高い生徒が学校教育を少しも高く評価していないことを意味する。同様に、学力の低い生徒が、必ずしも学校教育に対する意識が低いとも限らない。いっさい関連がないのだ。この結果は、動機付けについての興味深い疑問を提起する。学業成績と学校への態度が、事実、関連していないとするなら――　では、生徒を学業成功に導く動機はどこから来るのか？　「学校に対する溢れ出る情熱」からでないことは確実だ。</p>
<p><span>　</span>それは内側から来る、というのが答えだ。学力のある生徒とそうではない生徒との違いを作るのは、自身の長所短所に関する自己評価だと、PISAに基づくその他の研究が示唆している。自信、不安、学習の楽しさなど、個々の心理変数が、生徒間の学業成績の違いの<a href="http://psycnet.apa.org/index.cfm?fa=buy.optionToBuy&amp;id=2014-01444-001" target="_blank">15％から25％</a>を原因付ける。総括すると、自身の問題解決能力に対する生徒の自己評価の方が、学校自体に対する意識よりもはるかに重要なのだと、研究結果が示しているのだ。</p>
<p><span>　</span>これはひとつの問題だ。学校に対する生徒の態度は、いくつかの理由から、たしかに重要だからだ。もし仮に生徒が、学校に通う直接的な利益を見出せないとしたら？　あるいは、学校は自分の期待を満たしてくれないと考えるなら？　あるいはまた、学校の外でも同じスキルが学べると感じるなら――　その意思は、その後の人生において、公共教育に対する彼らの見方に大きく影響するのではないだろうか。そして実際、多くの人が公共教育が果たす役割について悲観的な見方をしている。その見方は、ほぼ確実に、彼ら自身の人格形成期の学校体験から来ている。まさに公共教育が、その後の市民生活を形作るわけだ。公共教育を支え、より良くし、強化していく必要がある。それを手放して捨てるのではなく。したがって生徒には、それを引き裂いて壊すとか、そこからドロップアウトするかわりに、公共教育の中で自らを高めるよう、教えなければならない。</p>
<p><span>　</span>何をすればいいのだろうか？　学校教育に関する決定を下せる立場にある大人たちは、学校体験が生徒の態度や信念に及ぼす長期的影響について、もっと深く認識する必要がある。卒業後の人生で、自分たちに何ができるのか？　それを実際に垣間見せてくれる実践的グループ活動を、学校教育の中に組み入れていく。この動きを、さらに強化していかなければならない。生徒たちが、彼らの現在と未来を結びつけるリンクを、今ここではっきりと見るのか、見ないのか。その違いが、その後の社会に、きわめて重大な違いをもたらすのかもしれないのだ。</p>
<p><small>This article was originally published on <a href="https://aeon.co/" target="_blank">AEON</a>. Read the <a href="https://aeon.co/ideas/why-the-most-successful-students-have-no-passion-for-school" target="_blank">original article</a>.<br />
Translated by Conyac</small><br />
<img src='https://metrics.aeon.co/count/a764a6a5-d8cb-4ece-8b75-ee80ecf38cdc.gif' alt='Aeon counter – do not remove' width='1' height='1' /></p>
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		<title>VRでの殺人は違法にした方がよい</title>
		<link>https://newsphere.jp/technology/20170626-3/</link>
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		<pubDate>Mon, 26 Jun 2017 08:00:41 +0000</pubDate>
		<dc:creator>NewSphere</dc:creator>
		<category><![CDATA[Technology]]></category>

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		<description><![CDATA[著：Angela Buckingham（ベルリン拠点のライター、”The Colonel”など著作） 　まずナイフを手に取るか、あるいは割れた瓶のネック部分に手を伸ばす。次にそれを相手に向かって突き刺し、格闘する。相手が [&#8230;]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div class="wprt-container"><p>著：<a href="https://aeon.co/users/angela-buckingham" target="_blank">Angela Buckingham</a>（ベルリン拠点のライター、”The Colonel”など著作）</p>
<p><span>　</span>まずナイフを手に取るか、あるいは割れた瓶のネック部分に手を伸ばす。次にそれを相手に向かって突き刺し、格闘する。相手が抵抗するときの肉体的緊張が感じられ、さらに相手を圧倒したいという欲望が芽生える。自分の身体に対する相手の身体の密度、その血のぬくもりが感じられる。今相手はあなたを見上げていて、最後の瞬間にあなたと視線を合わしている。</p>
<p><span>　</span>何十年もの間、SF作家は仮想現実（VR）を夢見てきた。それは今や実現し、おそらく、実際に魂を傷つけることなく、誰かを殺すという完全な肉体的経験を可能にした。FacebookがOculus Rift（オキュラスリフト）の開発に継続的に取り組んできたように、最近ではGoogleが、さらなる没入型の仮想世界の構築を促進するために、視線追跡のスタートアップであるEyefluence（アイインフルエンス）を購入した。映画「バードマン」（2014年）と「レヴェナント」（2015年）で有名なAlejandro GIñárritu監督とEmmanuel Lubezki撮影カメラマンは、次のプロジェクトは短いVR映画になるだろうと発表した。</p>
<p><span>　</span>しかしこの新しい形のエンターテインメントは危険である。我々は没入型の仮想暴力の影響に対して疑問を抱き、研究し、管理しなければならない。人を殺すという経験を現実的にシミュレーションできるようになる前に、仮想現実での殺人は違法にしなければならない。</p>
<p><span>　</span>私は楽しみを邪魔するためにこのようなことを言っているのではない。 約20年間映画やテレビに携わってきた者として、映画制作の技法は、観客への影響を最大にするためだけにあるということを非常に強く感じている。監督はひとつひとつの言葉のイントネーションを変えることを俳優に求め、一方編集者は場面に合うムードや雰囲気を追求しながら、一生懸命に一本の映画を秒単位にカットする。</p>
<p><span>　</span>だから私はVRの魅力と、視聴者にとってよりリアルな物語を作り出すVRの可能性を理解している。 しかし我々は、映画とゲームの両方が紛争と解決の話を作って繁栄しているという事実を考慮しながら、その誘惑を分析しなければならない。 殺人や暴力はドラマにとって頼みの綱であり、一人用シューティングゲームはゲーム業界で最も人気があるもののひとつである。</p>
<p><span>　</span>これらすべての流血がもたらすものははっきりしていない。ハリウッド映画がより<a href="http://pediatrics.aappublications.org/content/early/2013/11/06/peds.2013-1600" target="_blank">流血シーンが多く</a>なり、暴力的なビデオゲームが人気を集めるにつれて、米国での犯罪率は<a href="http://www.ucrdatatool.gov/Search/Crime/State/RunCrimeStatebyState.cfm" target="_blank">低く</a>なっている。シューティングゲームは鎮静剤になりうるという<a href="http://psycnet.apa.org/index.cfm?fa=buy.optiontobuy&amp;id=2009-21799-002" target="_blank">調査</a>もあれば、暴力行為の原因となる危険因子になりうる可能性を示唆している研究もある。 （おそらく、Netflixシリーズのハウス・オブ・カード（House of Cards）（2013年-）に出てくるフランク・アンダーウッド（Frank Underwood）のように、ビデオゲームはそのどちらにもなりうるのだ。）オハイオ州立大学の心理学者であるブラッド・ブッシュマン氏（Brad Bushman）とそのチームの<a href="http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0022103112002259" target="_blank">研​​究</a>によると、1日に20分、3日間暴力的なゲームをプレイした学生は、プレイしなかった学生よりも攻撃的になり、共感的ではなくなる。アイオワ州立大学の心理学者であるクレイグ・アンダーソン氏（Craig Anderson）とシドニーのマッコーリー大学の心理学者であるウェイン・ワーバートン氏（Wayne Warburton）との<a href="http://www.activeshootertest.com/wp-content/uploads/2015/07/Impact-of-Violent-Video-games.pdf" target="_blank">研究</a>によると、侵略者の位置を想定する反復行動や双方向性、そして暴力に負の影響を与えないこと全てが、攻撃的行動を増幅するゲーム体験の側面である。ワシントン海軍工廠銃撃事件のアーロン・アレクシス（Aaron Alexis）、サンディフック小学校銃乱射事件のアダム・ランザ（Adam Lanza）、ノルウェー連続テロ事件のアンデルス・ブレイヴィーク（Anders Breivik）といった銃乱射事件の犯人はみな、異常なほどのゲーマーだった。</p>
<p><span>　</span>エンターテイメントが私たちに何をするのかという問題は、最近になって出てきたものではない。 プラトン（Plato）の時代から、芸術の道徳はつねに議論の問題であった。 哲学者のジャン＝ジャック・ルソー（Jean-Jacques Rousseau）は、孤立した座席に座っている受動的な観客など、劇場の軋轢を生じさせ、堕落させる可能性を疑っていた。その代わりに、彼はコミュニティの団結を促す参加的フェスティバルを<a href="http://bjaesthetics.oxfordjournals.org/content/17/2/171.extract" target="_blank">促進</a>し、喜びにわく群衆をひとつにまとめるために活発な儀式を行った。 しかし今初めて、テクノロジーが、プラトンの洞窟の壁面で点滅しながら、芸術とパフォーマンスによって創造される世界と、それを知覚する現実世界との境界を爆破しようとしている。 そのような没入型参加の結果生まれるものは、複雑かつ不確実であり、危険に満ちあふれている。</p>
<p><span>　</span>人間は体現された存在であり、それはすなわち、私たちが考え、感じ、知覚し、行動する方法が、私たちの体の一部として存在するという事実に結びついているということを意味している。 自己重要性感覚の能力、つまり身体の状態を識別し、それを自分のものと認識する能力をハイジャックすることによって、VRは私たちが演じているキャラクターとの識別を高めることができる。「<a href="http://jneurosci.org/content/25/45/10564.short" target="_blank">ゴムでできた手の錯覚</a>」が示したのは、適切な条件において、不活性な人工装具が実際の手であるように感じることが可能であるということである。最近の2012年の<a href="https://www.researchgate.net/publication/230566147_Extending_Body_Space_in_Immersive_Virtual_Reality_A_Very_Long_Arm_Illusion" target="_blank">調査</a>によると、歪んだ仮想アームが通常の3倍の長さに伸びて、身体の一部になるのを人は認識できることが分かった。</p>
<p><span>　</span>VRにおいて、この状況から他人の身体の中に実際に住みつくまであとわずかである。 しかし、ドイツの哲学者であるトーマス・メッツィンガー氏（Thomas Metzinger）が警告しているように、そのような完全な同一化の結果がどうなるかは知られていない。 仮想の具現化によって、それに対して脆弱性のある人は精神病を引き起こしたり、あるいは長期間離れていた後にその実体に戻ったときに、そこから疎外感を覚えたりする<a href="https://www.newscientist.com/article/2079601-virtual-reality-could-be-an-ethical-minefield-are-we-ready/" target="_blank">危険性</a>がある。メッツィンガー氏によれば、仮想環境内にいる人々は自分のアバター（分身）の期待に従う傾向がある。2007年のスタンフォード大学の研究者たちが行った<a href="http://vhil.stanford.edu/mm/2007/yee-proteus-effect.pdf" target="_blank">調査</a>において、これは「プロテウス効果」と名づけられた。つまり、より魅力的なバーチャルキャラクターを持つ人々は他の人々とより親密になり、背の高いアバターを割り当てられた人々はより自信を持って積極的に交渉にあたったことがわかっている。 仮想領域において発達したこういった行動が、現実世界の領域に流出する危険性がある。</p>
<p><span>　</span>没入型の仮想環境において、殺すとはどんな感じだろうか？ 確かに恐ろしく、衝撃的で、ときにはスリリングな体験でさえある。 しかし、殺人犯を具現化することによって、我々は暴力をより欲望を掻き立てるものにし、残虐性の中で自分自身を鍛え、攻撃を正常化するというリスクを犯している。 空想の世界を構築する可能性を考えたとき、私の映画製作者としての血が騒ぐ。しかし我々は人間として慎重にならなければならない。 我々は、心理的な影響を研究し、道徳的および法的な意味を考慮し、<a href="http://journal.frontiersin.org/article/10.3389/frobt.2016.00003/full" target="_blank">行動規範</a>を確立する必要がある。 仮想現実は、我々が存在できる形態の範囲と、そのボディを使ってできることを広げてくれる見込みがある。 しかし、我々の心を形作るのは我々が物理的に感じているものなのだ。仮想現実内の暴力が私たちをどのように変えてしまうのかを我々が理解できるようになるまでは、仮想殺人は違法にしておく必要がある。</p>
<p><small>This article was originally published on <a href="https://aeon.co/" target="_blank">AEON</a>. Read the <a href="https://aeon.co/ideas/murder-in-virtual-reality-should-be-illegal" target="_blank">original article</a>.<br />
Translated by yoppo</small><br />
<img src='https://metrics.aeon.co/count/211f4dc2-0080-4bf5-b290-ea52f03e0824.gif' alt='Aeon counter – do not remove' width='1' height='1' /></p>
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		<title>なぜ赤ちゃんと「いないいないばあ」で遊ぶことが大切なのか?</title>
		<link>https://newsphere.jp/culture/20170623-1/</link>
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		<pubDate>Fri, 23 Jun 2017 00:00:49 +0000</pubDate>
		<dc:creator>NewSphere</dc:creator>
		<category><![CDATA[Culture]]></category>

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		<description><![CDATA[著：Caspar Addyman（ロンドン大学ゴールドスミスカレッジ Lecturer in Psychology） 　笑顔と微笑みは、年齢、言語、そして文化の壁を超越しているが、赤ちゃんはそれを誰よりも良く知っている。 [&#8230;]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div class="wprt-container"><p>著：<a href="https://aeon.co/users/caspar-addyman" target="_blank">Caspar Addyman</a>（ロンドン大学ゴールドスミスカレッジ Lecturer in Psychology）</p>
<p><span>　</span>笑顔と微笑みは、年齢、言語、そして文化の壁を超越しているが、赤ちゃんはそれを誰よりも良く知っている。赤ちゃんは私たちの言葉を話さない。私たちの文化も共有していないし、私たちより少なくとも1世代分は離れている。にもかかわらず、私たちは赤ちゃんと容易に笑顔を共有できる。</p>
<p><span>　</span>あなたがいつも赤ちゃんと一緒に過ごし、清潔に暖かく守られ、十分に食事を与えられているのであれば、赤ちゃんは全力であなたの心を虜にしようと努めるだろう。赤ちゃんは上機嫌で快活でカリスマ的で社交的だ。猫が登場する愉快なYouTubeの動画と対等に張り合えるだけの生来の喜劇的な性格を備えている。しかし、認知科学の研究では、最初に心が触れ合う段階における可愛らしさの重要性は長い間認識されていたが、さらに深く掘り下げた研究者はこれまでほとんどいなかった。少なくともこれまでは。ここへ来て、私が好んで言う「赤ちゃんのための建設的な心理学」が新たに盛り上がりつつあり、私たちは生まれたときから微笑みと笑顔が大切な目的に役立つことを理解し始めている。</p>
<p><span>　</span>スキャンの解像度の高さが表情を描くのに十分となった2000年以降、超音波で描き出された赤ちゃんの笑顔の事例報告が行われるようになった。ダーラム大学の心理学者のナジャ・ライスランド氏はこの<a href="http://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0024081" target="_blank">証拠</a>を体系的に観察し、胎児の7通りの顔の表情を識別し、赤ちゃんは泣くことと笑うことを子宮で「練習」していることを確認した。これは、親たちから送られた、生まれたての1〜2ヵ月でもう笑顔を見せてくれる赤ちゃんの笑い声も収録された映像証拠に基づいて実施した私自身の赤ちゃんの笑顔に関する広範な<a href="http://babylaughter.net/" target="_blank">調査</a>からの発見を裏付ける。最初の笑顔はお腹に溜まったガスのようなものだ、というのはただの通説である。むしろ赤ちゃんは本当の喜びを表現している。赤ちゃんの笑い声が静かで、息遣いが聞こえ、穏やかであるのは、とても幼い赤ちゃんには大人のように完成した笑い声を作り出すための筋肉の制御能力が備わっていないからである。しかし、両親は誰よりも自分の子供をよく知っているので、生後の数週間で本物の笑顔が見られたという報告があれば、私たちはそれらを信じることにしている。</p>
<p><span>　</span>この調査では、いないいないばあが世界中で最も一般的な赤ちゃんを笑わせるための方法であることが示された。いないいないばあのやり方を次第に複雑にすることが求められるにせよ、それは赤ちゃん時代の数年間は有効である。最初の6ヶ月で、赤ちゃんはあなたが自分の傍らに戻って来ることに対し心から驚いている。 そして赤ちゃんたちはそれを予測することを学習し、またその予測が当たることを喜ぶようになる。よちよち歩きの幼児になるまでは、赤ちゃんは頻繁にあなたのご機嫌をとろうとする。この期間においては、赤ちゃんとの接し方の基本要素は同じままでいい。全てはアイコンタクトに尽きる。アイコンタクトは、全て余分なものが削ぎ落された純粋な社会的相互作用だ。<em>私の話、聞いている? 本当? iPhoneをいじりながら片手間にいないいないばあなんかできないよ。ほら、それで良いよ。さあ、私の目を見てね。</em></p>
<p><span>　</span>いないいないばあは赤ちゃんが一番欲している「大人からの注目」を与える。そして、世界中で一番分かり難く、従わざるを得ない「他人」という謎の存在を赤ちゃんはいないいないばあから学ぶ。いないいないばあが人気であるということは、赤ちゃんの笑顔の重要な特徴であると考えられるこの2つを強調している。その目的は学習を促進することであり、それは極めて社会的なことだといえる。</p>
<p><span>　</span>パリ大学の心理学者ラナ・エッセイリー氏と彼女の同僚たちは、赤ちゃんはジョーク好きな（真剣ではない）相手からより多くを学ぶことを<a href="http://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1080/02699931.2015.1036840?journalCode=pcem20&amp;" target="_blank">発見した</a>。私はその逆もまた真であると考えている。楽しそうな赤ちゃんは、自分が興味を持っていることを自分に教えてくれるよう大人たちを促す。たとえば、泣くということは、赤ちゃんが何かを止めて欲しいと思っていること、そしてあなたがそれを止めてくれるよう望んでいる、ということは明らかだ。赤ちゃんの笑いがその逆である、ということは実はそれほど明白ではない。赤ちゃんがあなたに相手になっていて欲しい時に笑う。このようにして、赤ちゃんは色々学んでいく。</p>
<p><span>　</span>とりわけ、赤ちゃんや幼児は、ジョークと偽りと融通の利かなさの違いを見分けようとしているようにも思われる。シェフィールド大学の心理学者エレナ・ホイッカ氏は、この能力は子供が2歳になる前に発現することを<a href="http://eprints.whiterose.ac.uk/86678/" target="_blank">実証した</a>。他の<a href="http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:q6otJggq9esJ:tactyc.org.uk/wp-content/uploads/2014/12/Occasional-Paper-5-Hoika.docx+&amp;cd=1&amp;hl=en&amp;ct=clnk&amp;gl=uk" target="_blank">研究</a>では、ホイッカはユーモアの産生の初期段階を追跡調査し、乳児が1歳の時は、親の「ジョーク」をコピーすることを示した。2歳になると、赤ちゃんは自分自身のジョークを編み出すようになった。心理学者であるポーツマス大学のバス・レディ氏とバーモント州のジョンソン州立大学のジーナ・ミロート氏は、赤ちゃんがこのようにあからさまに道化役を演じるように移行することは、他の心理を認識していることの重要な指標であると<a href="https://www.academia.edu/13764875/Teasing_and_Clowning_in_Infancy" target="_blank">推測している</a>。また、これは、両親にとってはジョークのネタが枯渇してしまいそうになるくらいの疲れを知らない幼児期のエネルギーとも一致する。</p>
<p><span>　</span>逆説的に、赤ちゃんを笑わせる最善の方法は、赤ちゃんを真剣に受け入れることだ。結局のところ、人は、口に出して言うほどの面白いことが何もないときでさえ他人を笑わせる。ボルティモアにあるメリーランド大学の心理学者ロバート・プロビン氏は、日常生活における笑いの大半はジョークに関連しているのではなく、社会的な品位と集団の結束とに関連していることを<a href="https://www.psychologytoday.com/articles/200011/the-science-laughter" target="_blank">示した</a>。私自身の研究室での最近の調査も、そういった行動が早期に始まることを示唆している。私たちはグループ、ペア、または一人で面白い漫画を見ている幼児を撮影し、そばにいる別の子供がたった1人の時でもその幼児は5倍ほど多く笑っていることを発見した。幼年期においてもジョークは皆と共有された時にもっとも愉快なものになる。</p>
<p><span>　</span>言うまでもなく、私たちは十分にこのことを長い間知っていた。<a href="http://www.gutenberg.org/files/1227/1227-h/1227-h.htm" target="_blank">チャールズ・ダーウィン</a>氏と著名なビクトリア朝の心理学者<a href="https://archive.org/details/essayonlaughteri00sulluoft" target="_blank">ジェームズ・サリー</a>氏は、2人とも人間の感情の進化に対する赤ちゃんの笑顔の役割に興味を持っていたのだ。違いは、今回は研究室に赤ちゃんを連れて来たということだけである。私たちが赤ちゃんの笑い声をどれだけ真剣に受け止めているかを示すため、私たちは、赤ちゃんが外界および赤ちゃんの周囲の人々との関係に注意を払う方法が笑顔によってどのように変わっていくかを調べる実験を計画している。私の仕事が赤ちゃんを笑わせることであることに、えもいわれぬ特権を感じるのである。</p>
<p><small>This article was originally published on <a href="https://aeon.co/" target="_blank">AEON</a>. Read the <a href="https://aeon.co/ideas/why-playing-peekaboo-with-babies-is-a-very-serious-matter" target="_blank">original article</a>.<br />
Translated by ka28310 via Conyac</small><br />
<img src='https://metrics.aeon.co/count/a746ce89-5a2c-4539-877e-402e353956ec.gif' alt='Aeon counter – do not remove' width='1' height='1' /></p>
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		<title>世代宇宙船の派遣は道義に反する？</title>
		<link>https://newsphere.jp/technology/20170622-1/</link>
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		<pubDate>Thu, 22 Jun 2017 02:00:29 +0000</pubDate>
		<dc:creator>NewSphere</dc:creator>
		<category><![CDATA[Technology]]></category>

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		<description><![CDATA[著：Neil Levy（マッコーリー大学 Professor of Philosophy, Oxford Centre for Neuroethics Deputy Director） 　人類による他の惑星の植民化は、こ [&#8230;]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div class="wprt-container"><p>著：<a href="https://aeon.co/users/user-eessmi0ripqzta" target="_blank">Neil Levy</a>（マッコーリー大学 Professor of Philosophy, Oxford Centre for Neuroethics Deputy Director）</p>
<p><span>　</span>人類による他の惑星の植民化は、これまで我々が行なってきた地球破壊の規模を考えれば人類の生存には必要となると思われる。そのために世代宇宙船を利用しなければならないことはほぼ間違いない。世代宇宙船とは、出発する本人ばかりでなくその子孫までも扶養する宇宙船だ。地球と直近の居住可能な惑星とのとてつもない距離は、光速以上の速さで宇宙を移動する方法を発明できないという事実と組み合わせると、目的地に到着する前に何世代も生まれ、育ち、死んでゆくことを不可避にするのだ。</p>
<p><span>　</span>世代宇宙船は、病院、学校、居住ゾーン、娯楽ゾーン、治安部隊、それにおそらく司法ゾーンまで備えた小宇宙の完全な社会でなくてはなるまい。そして、乗組員への食糧供給を可能とするため、農業、水産養殖、家畜の飼育も必要となるだろう（これは惑星植民化の取り組みにも必要となるに違いない）。したがってその設計は、エンジニアばかりでなく、社会学者にとっても大きな課題となる。すなわち、対人間の衝突を最低限に抑えるためにどのように乗組員を選択し、どのような環境を構築するのか。自滅的な退屈や遺伝子プールの極度の狭隘化などの大きなリスクなしに新惑星を植民する単一の包括的プロジェクトに取り組むにはどれくらいの人口が最適なのか。精神衛生上、船内に（樹木や植物、野生の鳥や小動物などが生息する）自然に近い環境が必要なのだろうか、という点だ。</p>
<p><span>　</span>そのような宇宙船には設計者が直面する技術的、社会的課題と共に、興味をそそる哲学的、倫理的な問題が発生する。私が注目したいその問題とは、暮らし方を拘束し、プロジェクトの開始に異議を唱えることはできず、選択肢が極度に限定されてしまう次世代の人々に対するこのプロジェクトがもつ倫理的課題だ。</p>
<p><span>　</span>世代宇宙船は、船内で生まれた大多数の子供たちが次世代の乗組員となるよう訓練できてはじめて機能する。次世代の子供たちには自分が追及するプロジェクトの種類に関しては全くと言ってよいほど選択肢はない。あってもせいぜい、料理長、園芸家、エンジニア、パイロットなど船内の業務だ。役割への割り当てが厳しく管理されていることを考えるとその選択の幅すらないかもしれない。たとえば、十分な数の人々が料理長の訓練に登録すると、そこにはもう就業の可能性はないからだ。また、瞑想したり、宗教界に隠遁したり、（両親が後にした社会でより一般的だった役割の）サービス産業で働く生活を選択することは不可能だろう。パートタイムにするか常勤で働くかを選ぶこともできない。</p>
<p><span>　</span>無論、これは我々の多くにも身近な問題だ。地球と世代宇宙船との相違は、その種類ではなく規模にある。親というものはたいてい自分が価値をもつと考える暮らし方、国家、組織を子供たちが支持することを期待する（例えば、多くの親は子供が自分たちの信じる宗教外で結婚をすると戸惑い、デートや結婚は共同体の中で行われる可能性が高くなるという事実から、宗教学校は多くの親によってある程度正当化される。）一部の親は子供にほとんど選択肢、それもよい選択肢がないという事実に直面し（たとえば、極貧のコミュニティで生活する人々）、選択肢が限定される条件の遺伝子を保有する人々にも同様の問題が発生する（例えばハンチントン病）。しかし、よい選択肢が子供にほとんどないという事実によって生殖が道徳的に容認されなくなってしまうのだろうか？</p>
<p><span>　</span>世代宇宙船の中で生まれた子供たちの暮らしは（より優れた医療、栄養、教育などが受けられることから）実際、今日貧困の中で生まれてくる多くの子供たちのそれよりはるかによいに違いない。しかしそれでも子供たちは自分が選択していないプロジェクトに拘束されてしまう。米国では、アーミッシュは子供が別の生活様式にさらされるのを制限するため子供たちに幼少期から学校教育を受けさせない法的権利を有している。アーミッシュがそうすることで子供たちの<a href="http://philpapers.org/rec/FEITCR" target="_blank">開かれた未来</a>を制限してしまうことを<a href="http://engagedscholarship.csuohio.edu/fac_articles/396/" target="_blank">心配</a>する人々は、アーミッシュが夢見ているよりも子供たちを制限してしまう世代宇宙船を懸念するべきだ。結局、アーミッシュは成人になるとアーミッシュの共同体から出ることが可能であるし、そうしている人もいる。ところが世代宇宙船の場合はそこから離脱することは不可能で、船内で担う役割を選択することは不可能だ。</p>
<p><span>　</span>さらに、船内で生まれた子供たちは地球で暮らす誰よりもあらゆる選択肢が制限されることになる。例えば、世界中の何百万もの女性たちは出産するか否かを自ら決められない。我々の多くはこれが容認し難い事実であり、だれもが自分の生殖機能をコントロールできるべきであると考える。しかし、次世代宇宙船で生まれる子供たちには事実上子供を産むか産まないかを選択する権利はない。計画の成功は（少なくとも大半の）乗組員が子供を産むことにかかっており、乗組員が（控えめに言っても）生殖に対する大きなプレッシャーをもつことは確実だ。また、パートナーを持つか持たないかを決める権利もほとんどない。おそらく、誰とパートナーを組むかの選択肢もあまりないだろう（誰かがパートナーを決めたら、他の者は残っている者のなかから選択しなければならないためだ）。</p>
<p><span>　</span>このような問題を回避する唯一の方法は、幅広い選択肢が存在する複雑な社会を提供するに足る十分な巨大宇宙船を設計、建設して、幅広いライフスタイルを追求できるようにすることだろう。そのような宇宙船建設にかかるコストやそれほどの規模のものを推進することの困難さからこれは現実的な選択肢ではないことが示唆される。</p>
<p><span>　</span>子供たちをプロジェクトと選択していない生活様式に拘束にしてしまうにもかかわらず、世代宇宙船が倫理的に許容されるか否かは、人類の存続という目標そのものがそれを正当化するだけ価値のあるものかどうかにかかっている。それは私が回答を試みる疑問ではない。世代宇宙船の実現がまだかなり先のことであることを考えれば、これは焦眉の急を要する心配事ではない。しかし、規模や形態は違っても、今日地球に暮らす多くの子供たちは、貧困、宗教的信念、迫りくる自然環境の悪化などを通して将来が制約された環境に生まれてくる。世代宇宙船の許容性を問うことは、地球という全人類にとって最大の世代宇宙船が人々の生活に課している制約の許容性に関する新たな視点を提供してくれる。</p>
<p><small>This article was originally published on <a href="https://aeon.co/" target="_blank">AEON</a>. Read the <a href="https://aeon.co/ideas/would-it-be-immoral-to-send-out-a-generation-starship" target="_blank">original article</a>.<br />
Translated by サンチェスユミエ</small><br />
<img src='https://metrics.aeon.co/count/a4052272-0ed2-4204-af4f-985c63aa2609.gif' alt='Aeon counter – do not remove' width='1' height='1' /></p>
</div>]]></content:encoded>
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		<title>魔法の薬がなくても、生活習慣の改善でアルツハイマー病は回復する</title>
		<link>https://newsphere.jp/culture/20170621-1/</link>
		<comments>https://newsphere.jp/culture/20170621-1/#respond</comments>
		<pubDate>Wed, 21 Jun 2017 00:00:26 +0000</pubDate>
		<dc:creator>NewSphere</dc:creator>
		<category><![CDATA[Culture]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://newsphere.jp/?p=31321</guid>
		<description><![CDATA[著：Clayton Dalton（コロンビア大学メディカルスクール卒、マサチューセッツ総合病院の専門医学実習生） 　昨年夏、カリフォルニア大学ロサンゼルス校 (UCLA) の研究グループが、アルツハイマー病の新たな治療法 [&#8230;]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div class="wprt-container"><p>著：<a href="https://aeon.co/users/clayton-dalton" target="_blank">Clayton Dalton</a>（コロンビア大学メディカルスクール卒、マサチューセッツ総合病院の専門医学実習生）</p>
<p><span>　</span>昨年夏、カリフォルニア大学ロサンゼルス校 (UCLA) の研究グループが、アルツハイマー病の新たな治療法に関する<a href="http://www.aging-us.com/article/100981/text" target="_blank">研究結果</a>を発表した。あまり注目されていないが、彼らの発見は素晴らしいものである。研究規模は小さいものの、被験者全員に症状の明らかな改善が見られ、研究の最後に記憶力・認知力テストを実施した結果、ほぼ全員が正常と認められる得点を獲得した。機能的にアルツハイマー病が治癒できたと言える結果だ。</p>
<p><span>　</span>高齢化が進むにつれ、アルツハイマー病の患者数はこれまで以上に増加することが予測される。さらに現在選択できる治療法では、最低限の回復が見られれば上出来という状況であるため、UCLAの研究成果は非常に大きい。昨年7月に大きな期待を寄せられていたLMTXという新薬の大規模臨床試験が実施されたが、LMTXを投与した患者にその効果はほとんど見られなかった。その後、アルツハイマー病患者の脳に見られる特徴のひとつであるアミロイドタンパク質を標的とした他の薬が有望視されていたが、こちらも初回の大規模臨床試験は失敗に終わった。またメルク社がアミロイドタンパク質の形成を阻害する新薬verubecestatを開発し、ほんの2ヵ月前にその臨床試験結果を発表したが、プラセボ薬以上の効果はなかったという。</p>
<p><span>　</span>UCLAが素晴らしい結果を発表できたのは、驚くべき新薬を開発したからではない。医学が飛躍的に進歩したためでもない。UCLAの研究グループは、様々な方法により生活習慣を改善するプロトコール研究を行ったのである。生活習慣を改善することで、アルツハイマー病に関連する代謝パラメーターとなる脂肪組織の炎症や、インスリン抵抗性などを最適化する狙いだ。被験者はカウンセリングをもとに食生活を変え (野菜を多く摂取し)、運動を行い、さらにストレス管理能力の向上や睡眠の改善に特に重点的に取り組んだ。その結果、被験者に最も多く見られた「副次的効果」は、体重の減少であった。</p>
<p><span>　</span>UCLAの研究が極めて重要となるのは、単に素晴らしい結果を示したからではない。この研究は、複雑な慢性疾患の治療にも応用できるという点でも注目に値する。これまで我々はアルツハイマー病の分子基盤を解明することが病気の完治、または最低でもより効果的な治療法の特定に繋がると信じ、何十億ドルもの費用をつぎ込み研究を続けてきた。研究を重ねたことで我々は非常に多くの知識を得ることができたが、それが治療に繋がった成功例は少ない。</p>
<p><span>　</span>糖尿病や心疾患など、我々にとって大きな課題となっている多くの慢性疾患についても、アルツハイマー病と全く同じとは言えなくとも似たような状況にあると言える。このような慢性疾患に対しても薬物療法による効果は確かに得られているが、完璧と言えるものはなく、また薬物療法には必ず副作用がある。これら慢性疾患の根底にある細胞過程に関し、我々はすでに高度な理解を得ているが、医療技術の精度はまだ低く、最大の目的である治療法もまだ完全には確立されていない。</p>
<p><span>　</span>UCLAの研究グループは薬物療法が困難であることを認め、他の方法による治療を目指した。彼らはまずアルツハイマー病とは無秩序で、極めて複雑なシステムの発現であるという前提のもと、インプットを変更することでそのシステムを最適化しようと試みた。言い換えれば、この病気を分子細胞レベルで見ると複雑すぎるので、その外側から変えていこうとしたのである。彼らの措置が細胞レベルでどう作用したのか正確にはわからない。しかし重要なのは、作用したという事実である。</p>
<p><span>　</span>このような手法は全く新しいものではない。生活習慣の多角的、包括的な見直しといった措置が、心疾患、糖尿病、高血圧の症状を大きく改善するという研究結果がすでに出ている。しかしこのような手法を広めるのは難しい。理由は2つある。まず薬物療法であれば就寝時に薬を服用するだけで済むのに対し、生活習慣の改善というプロトコールの実施が困難であることが、1つめの理由として挙げられる。有意な効果を発揮するまで、患者に対する指導、カウンセリング、サポートが期間中常に求められる。そして2つ目の理由は、現在の医療システムに、治療にはまず投薬という方針が深く根付いていることだ。薬物療法にかかる費用であれば保険会社が補償してくれるが、生活習慣の改善は保険の対象外だ。また医師が学んできたのは薬理学であり、栄養学は医師の領分ではない。</p>
<p><span>　</span>普及までには課題もあるが、生活習慣の改善に基づく治療法の導入を真剣に検討すべき時がきている。今後30年間でアルツハイマー病の患者数は3倍に増加すると予想されており、アメリカだけでも約1,400万人が罹患するとされる。糖尿病を始めとする慢性疾患でも同様に、患者数の増加が予測される。増加する患者に対し、病気の根本となる生活習慣を放っておいて、薬物療法のみで対処するには法外な費用がかかる、有害事象が発現するなど新たな問題が生じるだろう。薬物療法だけでなく、生活習慣の包括的な改善が様々な慢性疾患に効果を発揮する場合があるという結果が得られたのである。生活習慣の改善を、年に1度の定期検診で軽く注意する程度では不十分だ。それは今やアルツハイマー病だけでなくすべての慢性疾患の治療の基礎とするだけの価値がある。</p>
<p><small>This article was originally published on <a href="https://aeon.co/" target="_blank">AEON</a>. Read the <a href="https://aeon.co/ideas/lifestyle-changes-not-a-magic-pill-can-reverse-alzheimers" target="_blank">original article</a>.<br />
Translated by t.sato via Conyac</small><br />
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