ロヒンギャ難民の避難路に地雷を仕掛けるミャンマー軍 複数の犠牲者

Sk Hasan Ali / Shutterstock.com

【コックスバザール、バングラデシュ・AP通信】 ミャンマーの軍部は、ラカイン州西部から避難しているイスラム教徒のロヒンギャの通る道に地雷を敷設したとして非難されている。アムネスティ・インターナショナルは、10日に2人が傷を負ったと報告している。

 ラカイン州での最新の暴力行為に関して、難民は主に兵士による銃撃と村での放火について語る。しかし、過去2週間のうちに30万人のロヒンギャが避難してきたバングラデシュとの国境では、傷害の原因が、対人地雷や他の爆発物にあると指摘されるケースがいくつかある。

 AP通信の記者は11日、国境のバングラデシュ側でひどい足の傷を負った年配の女性と会った。片方の脚は、ふくらはぎから下が吹き飛ばされているようで、もう片方もひどく傷ついていた。親戚が言うには、地雷を踏んでしまったということだ。

 アムネスティ・インターナショナルによると、ミャンマーは、北朝鮮やシリアと同じく、近年においても対人地雷を公然と使用してきた軍隊をもつ数少ない国である。1997年に国際条約で対人地雷の使用は禁止されたが、バングラデシュはその条約に調印したもののミャンマーはしていない。

 バングラデシュ、テクナフ町の国境警備司令官S・M・アリフル・イスラム中佐は、少なくとも3人のロヒンギャが爆発で傷を負ったと8日に語った。

 バングラデシュ政府関係者とアムネスティ・インターナショナル調査員によると、新しい爆発物は最近埋められたもので、その中にはバングラデシュ人の農夫の脚を吹き飛ばしたものと、ロヒンギャの男性に傷を負わせたものが含まれているとのことだ。両方の事件は10日に起こった。アムネスティ・インターナショナルによると、先週は2人の子どもを含む少なくとも3人が傷を負った。

「それは地雷ではないかもしれない。しかし、ミャンマーの兵士が3、4日前に爆発物を仕掛けた事件も別にあったのを知っている」とアリフル中佐は8日に述べた。

 ミャンマー大統領スポークスマンのゾー・テイ氏は、コメントを求める10日の電話に応答しなかった。軍部のスポークスマンのミャット・ミン・ウー氏は、上司に相談せずにコメントすることはできないと言った。バングラデシュ国境に近いマウンドー西部にある国境警備隊警察本部のある少佐も、コメントを拒否した。

 アムネスティは、目撃者たちや、同団体の兵器専門家とのインタビューに基づいて、こう述べた。ラカイン州の北西部で、避難するロヒンギャが国境の川を渡るために通る狭い場所に沿って、「対象を定めた地雷の使用」があったはずだと。

「全てのことが、ミャンマーの保安隊が、わざとロヒンギャ難民が渡河点として使う場所をターゲットにしていたということを示している」と、アムネスティ役員のティラナ・ハッサン氏は10日に声明で述べた。彼女はそれを「組織的な迫害から逃れようとする人々の苦しみに追い討ちをかける、残酷でひどいやり方」と呼んだ。

 暴力と避難民の出国が始まったのは8月25日だった。ロヒンギャの暴徒が、ミャンマーの警察や準軍事的な駐屯地を襲撃したのだ。彼らが言うには、それは仏教徒が多数を占める国で、保安隊による迫害から自分たち少数民族を守るための努力だった。

 それに対して、軍隊は暴徒を根絶するために「一掃作戦」と呼ばれることを行った。難民の説明によると、市民を狙った銃撃やロヒンギャ村々の一斉焼き打ちなどで、ミャンマー軍はラカイン州のイスラム教徒の一掃を明らかに企てていたたようだ。

 ラカイン州で、暴力的な反イスラム教徒の暴動が2012年に勃発したことにより、10万人以上のロヒンギャが、バングラデシュの避難民キャンプに行かざるを得なくなり、今日でも多くの人がそこで生活を送っている。

 ロヒンギャは、ミャンマーで数十年に及ぶ差別と迫害に直面してきた。そして、ラカイン地方で数世紀前から暮らしてきたにもかかわらず、市民権も否定されている。ミャンマーは、ひとつの民族としてのロヒンギャの存在を否定し、ラカイン州に住んでいるのはバングラデシュからの不法移民だと言っている。

Translated by Conyac

Text by AP