ドーピング:スポーツが国威発揚に利用されてきたロシア、国民の受け止め方と大統領の戦略

プーチン大統領

 世界反ドーピング機関(WADA)の調査グループは18日、ロシアでスポーツ選手の組織的ドーピングが国の主導のもと行われていたとする報告書を発表した。21日には、スポーツ仲裁裁判所(CAS)の判断により、リオデジャネイロオリンピックにロシアの陸上選手団が出場できないことが確定した。国際オリンピック委員会(IOC)はCASのこの判断を踏まえて、陸上以外の全ロシア選手団の出場の可否について、24日にも判断を下す見込みだ。

 ロシアのプーチン大統領は、WADAの報告書について「スポーツへの政治介入だ」などと反発した。一方で、プーチン大統領には、スポーツを自らの政治の道具としてきた側面もある。

◆プーチン大統領はオリンピックでの栄誉を特に熱望
 プーチン大統領はしばしばスポーツで体を動かしているところを写真に撮られ、公開されてきた。ブルームバーグ・ビュー(BV)のコラムニストLeonid Bershidsky氏(ロシアの日刊経済紙「ベドモスチ」の創立者で元編集長)は、プーチン氏は上半身裸で馬に乗っているところや、柔道の技をこなしているところを写真に撮られることを好む、と語っている。インターナショナル・ニューヨーク・タイムズ紙(INYT)は、プーチン氏は自らを、スポーツの優れた腕前と結びつけて考えている、と語っている。同紙によると、プーチン氏は大統領就任後に、ロシアで最も人気の高いスポーツであるホッケーを始めたそうだ。

 プーチン大統領は国の誇りをかき立てるため、また国威発揚のためにもスポーツを利用してきた。プーチン氏は2000年、大統領初就任からほどなく、シドニーオリンピック選手団の壮行会で、「スポーツでの勝利は、100の政治スローガンよりも国を団結させる」と断言していた(INYT)。国威発揚の面では、INYTは、プーチン氏は往々にして、自身が受けたソ連式教育の忠実な信奉者であり、オリンピックでの栄誉をとりわけ熱望している、と語る。自ら誘致をアピールし、他国を大きく上回るメダルを獲得したソチオリンピックは、プーチン氏にとって個人的勝利、国家的勝利となった、と同紙は語っている。

 「ソチオリンピックは、疑問の余地のない成功と理解されている」とロシアのシンクタンク、政治工学センターのアレクセイ・マカルキン副所長はINYTに語った。「国民はそれを宗教のように信じており、それに対する批判を一種の不信心と認識している」

◆スポーツの国際舞台での勝利を非常に貴ぶロシアの国民性
 ソチオリンピックがそこまで大成功とみなされる背景には、ロシア人が、オリンピックなど国際的スポーツイベントでの勝利を非常に高く評価しているという事情があるようだ。INYTは、ロシア人は昔から、スポーツを、勝つためには何でもする対抗者との国際競争の延長とみなすよう仕向けられてきた、と語っている。「スポーツはソ連時代から、国の誇りの源泉であり続けている」「スポーツは模擬戦争だ――武器を使用せず、平和的だが、そこには強烈な対抗心がある。スポーツは、ロシアが強国であることを具体例で示す」とマカルキン副所長は語っている。

 それならば、ソチオリンピックでのメダル獲得のために、国が主導となって組織的ドーピングを行ったというニュースは、ロシア人を落胆させただろうか。INYTによると、必ずしもそうではないようだ。

 INYTは、ロシア人はソ連時代から、自分たちの生活を妨害するルールの裏をかくことを、ちょっとした芸術的活動とみなしており、ゆえに、政府機関が同じことをしていると分かっても、めったにショックを受けない、と断定している。

 INYTによると、専門家らは、ロシア社会と、プーチン大統領のイメージにとってスポーツが重要であるにもかかわらず、ロシア国民は今回のドーピング・スキャンダルに関してプーチン氏を非難しないだろう、と語ったという。どうやら、勝利に対する執着心のほうが勝るようだ。

 マカルキン副所長によると、このドーピング問題に関しては、ロシア人は2つの陣営に割れているという。1つは、ロシア人選手は潔白だと考えているグループ、もう1つは、もし選手たちが有罪だとしても、彼らは世界のどこでもしていることをやっていただけだ、と考えるグループだという。

◆「ドーピング問題は西側諸国の陰謀」
 プーチン大統領は、この危機への対処法をすでに心に決めているようだ。ロシアの専門家らは、プーチン氏がこの危機をいつもながらの両面作戦でうまく対処していて、プーチン氏に深刻な傷が残ることはなさそうだと語っているという(INYT)。この両面作戦というのは、国際社会に対し、少なくともそこそこは協力するとのメッセージを送りつつ、ロシア国民に対しては、西側諸国がひっきりなしにロシアに対して陰謀を企てているといういつもの話を与えるというものだ。(ただしINYTの記事は21日のCASの判断の前に発表されたもので、ロシアの国内世論が今後、政権批判に転じる可能性はある)

 「スポーツへの政治介入」だというプーチン大統領の非難は、この陰謀論の観点から生じている。BVによると、大統領は19日、自身の公式ウェブサイトで声明を発表したが、その中で今回の(ロシアの組織的)ドーピングへの非難を、1980年のモスクワオリンピックでの西側諸国のボイコットになぞらえたという。

「いまやわが国は、スポーツへの政治介入の危険な繰り返しを目撃しようとしている。確かに今回、介入の形は変わったが、そのもくろみは一緒だ。スポーツを地政学的に圧力をかける道具、ある国々とその国民の否定的イメージを形成する道具にすることだ」(BV)

 BVのBershidsky氏によると、3月の時点では、プーチン氏は、ビタリー・ムトコ・スポーツ担当相を含む政府当局者に対し、「政治化する必要も、陰謀論を強く主張する必要も全くない」と語っていた。だが、ドーピングが国主導の組織的なものだったとの証拠が増すにつれて、プーチン氏はスポーツの国際組織と協力することにどんどん乗り気でなくなるように見え、自国への政治的陰謀にますます文句を言いたがっているように見える、とBershidsky氏は語る。

 プーチン氏が西側諸国の陰謀論に傾くのは、それが自身の大統領としての政治生命に直結しているからだ。Bershidsky氏によれば、プーチン氏は、アメリカの帝国主義に勇敢に反抗する世界的指導者というセルフイメージに執着しているが、それは国内での自身の地位がそのイメージにかかっていることが理由だという。有権者にとり、ロシアは西側諸国の不公正から被害を受けている大国であり続けなければならない、とBershidsky氏は語る。さもないと大統領への支持が続かないということだろう。プーチン氏はこの機に乗じて陰謀論を強化しているとも言えるが、むしろ陰謀論に依存する病いが深まったとも言えるだろう。

◆大規模なスポーツイベントは利益供与の舞台にも?
 プーチン大統領によるスポーツの政治利用に関して、INYTはもう1つ、政権に近い筋に便宜を図り、利益供与する手段になっているとの見方を示している。オリンピック、2018年サッカーW杯のようなイベントの開催国に選ばれることは、巨大プロジェクトの注文を意味したが、それはロシア政府支持者のえり抜きの後援ネットワークに利益供与するものだ、とINYTは語っている。

 このようなプロジェクトは、ソ連時代には威信の象徴だったとしても、ソ連崩壊後のロシアでは、ロシア政府のとりまきに利益供与する熱狂的活動になっている、とINYTは語る。ソチでは、道路1本造るのに80億ドル(当時の為替レートで約8160億円)かかったが、これはカナダ・バンクーバーが2010年冬季オリンピックに費やしたのとおおよそ同額である、とINYTは伝える。

 ソチオリンピックの費用は510億ドル(同約5兆2000億円)という途方もない額に上ったとみられる。ロシアの野党政治家ボリス・ネムツォフ氏はかつてソチオリンピックを「汚職の祭典」と呼んだ(INYT)。費用の少なくとも半分を工事契約者がかすめ取ったと見積もっていたという。同氏は2015年に何者かによって暗殺されている。

Text by 田所秀徳