今の中国を決定づけた文化大革命、その影響とは? そしてタブーを超えて民衆の意識に変化も

 中国の歴史上、重大な「文化大革命」(文革)は、1966年5月16日の中国共産党の通知が起点とみなされている。その日から50年を迎えたが、そのことは中国本土のメディアではほとんど報じられなかったという。中国共産党が報道を禁止したためである。中国社会に多大な犠牲をもたらした文革は、党にとって、今でも非常にデリケートな問題だ。文革の影響は、始まりから50年たった今も中国社会に残っている。

◆共産主義の理想の名の下に国を内側から破壊した文化大革命
 文革は、毛沢東が始めた政治運動だ。毛は1949年、中国共産党の最高指導者として中華人民共和国の建国を宣言し、その後中国を率いたが、1958年より行った「大躍進政策」の失敗により、その権力に陰りが生じた。文革は、一面では、毛が党内の政敵を追い落とし、権力を再掌握するための権力闘争だった。

 毛の政敵は、資本主義を体制に持ち込み、共産主義革命を妨げる反動勢力として毛側から批判された。毛は、共産主義の実現のためには、常に反動勢力を見つけ出して闘う「継続革命」が必要だと主張していた。そして国民にもそれを実施することを求めた。それが文革、正式名は「無産階級(プロレタリア)文化大革命」だった。

 これにより国民の間で、党の幹部や官僚、教師や文化人などに反動勢力を見つけ出し、つるし上げる運動が巻き起こった。多くが危害を加えられ、自殺に追い込まれる人もいた。この運動の先頭に立ったのが、「紅衛兵」を名乗る、学生など若者たちが形成したグループだ。共産主義の理想を信じ、文革を忠実に実行したが、それは同時に中国の伝統的な価値観を容赦なく破壊するということでもあった。彼らは自分の親たちでさえも、理想の名の下につるし上げた。

 また彼らは派閥を形成し、自分たちのイデオロギーこそ真正だと信じ、時に激しい派閥抗争を繰り広げた。文革の専門家であり『毛沢東 最後の革命』の著作があるハーバード大学のロデリック・マクファーカー教授は、ガーディアン紙に、「私が思うに、文革で最も恐ろしい側面は、党主席が国全体を混乱に陥らせたということばかりではない。スタートのピストルが鳴らされるや、中国人がお互いに対して極度に残酷になったということだ」「国民同士が戦い、殺し合った――特に紅衛兵の派閥抗争において」と語っている。

 暴走する紅衛兵の扱いに手を焼いた指導部は、学生たちを強制的に地方の農村に送り込む、いわゆる「下放」を開始した。この措置により、高等教育を受ける機会を失った世代が生じた。なお、習近平国家主席も、かつて下放を受けた経験がある。

 文革は1976年の毛沢東の死後、間もなく終息した。BBCは、何百万人もがそれまでの間に弾劾され、処罰されたが、実際の死亡者数に関しては、さまざまな推測がある、としている。

 ガーディアン紙は文革について、政治的、社会的混乱の10年間と語り、また20世紀の中国で、最も破壊的かつ後世を決定づけた出来事の1つと位置づけている。アルジャジーラでは、北京のシンクタンク「チャイナ・ポリシー」の研究ディレクターのデービッド・ケリー氏が「文革は実際、中国が中世にほとんど戻った時期だった」と語っている。

◆中国共産党にとっては今でもデリケートきわまる問題
 ガーディアン紙、BBC、AP通信といった欧米メディアは、文革の始まりから50年を迎えたことについて、中国メディアによる報道や、党・政府からの言及がないことに注目している。ガーディアン紙は、中国本土の16日の新聞には、文革の記念日のいかなる報道も欠けていた、と伝えた。BBCは、中国の主要国営メディアは16日、この記念日についてほとんど何も言及しなかった、と伝えた。

 AP通信は、中国メディアは16日、この節目を大部分無視したが、このことは、後に党が「大惨事」と明言したこの時代について、デリケートさが継続していることを反映するものだと語っている。もちろん、報道規制を念頭に置いたものだ。

 またガーディアン紙によると、中国の研究者は、このデリケートな時代について話すことを禁じられていたとのことだ。文革に関する著作のある王友琴氏は、「私たちが文革のダークサイドをさらしてしまうと、国民が(現在の)政治制度に疑問を抱くだろうと彼ら(指導部)は考えている」とガーディアン紙に語っている。

 BBCは、この時代の議論を呼ぶ遺産を扱う方法は、今日に至るまで、中国共産党の支配者らにとって難題であり続けている、と論じている。中国指導部にとって、文革の歴史に直面することのリスクは今でも非常に高いということなのだろう。

◆始まりから半世紀たった今も中国社会に残っている影響
 文革は、現在に至るまで中国社会に影響を残している。ガーディアン紙は、文革が始まってから半世紀たったが、この時代が現在の中国に与えた影響について学者たちはなおも討議中だ、と伝えている。

 独フライブルク大学の文革の専門家で、毛沢東時代の遺産について研究中のダニエル・リーズ氏は、ガーディアン紙で、文革の一つの結果は、中国の指導者らが政治的安定に執着するようになったことだ、と主張している。「党の観点からいえば、統制を決して放棄してはいけないこと、威圧的な権力を常に維持しなくてはならないこと、党内で一切の派閥争いがあってはならないことが、文革の主要な遺産に含まれるのは非常に明確だ」と語っている。文革に関する国民の批判を封じ込めるためにも、共産党の支配をますます強固に保つ必要があるという意味だろうか。現在の習政権もこのスタイルに忠実に即していると言えそうだ。

 AP通信は、中国の独裁的な政治制度、党の方針に異論を唱えることへの不寛容、指導部への無批判の支持のなかに、文革の名残が今でも反響し続けている、とベテラン・ジャーナリストの高瑜氏が語ったと伝える。

 党だけでなく、一般国民の間にも影響は残っているようだ。ガーディアン紙は、今でも中国社会は、文革からシニシズムを引きずっている、と高氏やその他の人が語っていると伝える。文革当時、学生は、教師や、親までも含めて、権威ある人物を弾劾することが求められたし、伝統的な道徳と方針が攻撃され、仏教寺院が外観を汚され、破壊された、と同紙は伝えている。この場合のシニシズムとは、目的達成のために手段を選ばない、といった意味合いだろうか。

◆国民の間では文革について沈黙を破り声を上げる動きも
 中国国民の間で、文革に対する意識の変化もあるようだ。AP通信は、多数の元紅衛兵が、自分たちの経験について書くようになっており、中には自分たちが虐げた相手に謝罪するために名乗り出てきた者たちもいる、と伝えている。また、公での沈黙にかかわらず、ここ数年、ネット、内輪の雑誌、文革の時代に生きていた人たちの社交的な会合で、非公式の論議が増えている、と伝えている。

 その一方、ガーディアン紙やAP通信によると、ネオ毛沢東主義者と呼ばれる、文革を評価している人たちもいるそうだ。彼らは自分たちで文革開始50年の記念行事を行ったそうである。AP通信によると、ノスタルジーや、市場経済によって格差が拡大したことへの不満から、文革を支持しているそうだ。

Text by 田所秀徳