“原爆投下、正しかったが…” エノラ・ゲイ最後の乗組員死去 晩年に語った複雑な思い

 28日、広島に原爆を投下した米軍のB-29爆撃機「エノラ・ゲイ」の航空士だったセオドア・ヴァン・カーク氏が、その93年の生涯を閉じた。海外各紙は、「エノラ・ゲイ最後の生存者」だった同氏の生前のコメントをもとに、戦争と原爆投下を振り返っている。

【秘密の任務】
 ヴァン・カーク氏は1941年に米陸軍航空隊の士官候補生となり、第2次世界大戦では、原爆投下訓練のため召集された第509混成部隊に加わった。入隊時、部隊を率いる上官からは、「今は言えないが、うまくいけば、戦争を終結させる、または著しく短縮させることができる何かをやる」と聞かされていたという。

 1945年8月6日の夜明け前、ヴァン・カーク氏は、他の11人のクルーとともに、エノラ・ゲイでマリアナ諸島のテニアンを出発。同機は、マンハッタン計画のもと極秘に製造された、原子爆弾を搭載していた

 ヴァン・カーク氏の任務は、設定した標的の上空に機体を正確に導くことだった。午前8時15分に、エノラ・ゲイは広島上空に到着。同氏が標的を確認した数十秒後、原爆が投下され、14万人が犠牲となる大惨事が、広島にもたらされた(以上ニューヨーク・タイムズ紙、ドイチェ・ヴェレより要約)。

【原爆投下は正当化されるのか】
 晩年のインタビューの中でヴァン・カーク氏は、原爆投下後、「煮えたぎる黒いタールが入った鍋のような、煙と埃と燃えかすに覆われた」広島を見たものの、「戦争が終わった、またはもうじき終わるのだ」という気持ちになり、「安堵したのを覚えている」と答えている(ニューヨーク・タイムズ紙)。

 アメリカでは原爆を投下した乗組員は、戦争を終結させた救世主として見られている反面、核戦争おける倫理観や原爆投下の必要性は、長年に渡り疑問視されてきた、とニューヨーク・タイムズ紙は指摘する。

 ヴァン・カーク氏自身は、他の乗組員と同様に、広島への原爆投下を擁護していた。「我々は絶対に降伏しない、負けを受け入れないと評判の敵と戦った」、「倫理観と戦争を同列で語ることはとても難しい」と述べたあと、「国家は人命の喪失を最低限に抑えて戦争に勝つため、やるべきことをやる勇気を持たねばならない」と持論を語っていた(ニューヨーク・タイムズ紙)。

【戦争、核兵器は解決にはならない】
 ヴァン・カーク氏は、2005年のAPのインタビューで、「第二次大戦でのすべての経験は、戦争はなにも解決しないことを教えてくれる。そして核兵器もなんの解決にもならない」と語り、原爆が日米の命を救ったのだと信じつつも、戦争への不信感を示していたという(ドイチェ・ヴェレ)。

 核兵器廃絶にも賛成していた同氏だが、「しかし誰かが持っていれば、自分だって敵以上に、それを持ちたくなる」と述べ、核のない世界実現の難しさも示唆していた(ガーディアン紙)。

Text by NewSphere 編集部