【特別編】海外紙も注目する日本企業の挑戦

1.孫正義、米携帯大手に戦いを挑む
 ソフトバンクの孫正義社長は10月15日、米携帯電話会社スプリント・ネクステル株の70%を200億ドルで購入すると発表した。同社の契約者数は3,200万人で第3位の規模だ。とはいえ1,2位のAT&Tとベライゾンは併せて約1億6千万人の契約者を持つ。金も勝ち目もないと言われているが、ウォール・ストリート・ジャーナル紙は、AT &Tとベライゾンにとり手強いライバルが出現したようだと報じた。同紙は孫氏を「日本で最も有名な社長の一人」と紹介している。

 ここで孫氏の経歴をたどる。日本で韓国系の貧しい家庭に生まれ、差別から逃れると同時に成功の可能性を求め16歳で単身渡米、カリフォルニア大学で経済を学ぶ傍らビジネスを始めた。開発した音声翻訳機を50万ドルでシャープにライセンス売却し、帰国後、1981年にソフトバンクを設立。数々の事業を起こし、投資を繰り返し、ヤフー日本法人を設立するに至った。
 ドットコムバブルでソフトバンクの時価総額は約20兆円となったが、バブルがはじけソフトバンクの株は急落。同社の市場価値は、2002年までに98%下落し、孫氏は7兆円以上の個人資産を失った。こうした経験から、換金性の高い資産で予測可能な収入源を確保できる電気通信事業に舵を切ったという。
 ヤフーブランドで高速インターネット接続サービスを開始したが、この事業が黒字化するまでは会社で寝泊まりする生活を続けたという。
 さらに、ボーダフォンの日本における携帯電話事業を1兆円以上で買収するため借り入れを行ったため、株価が40%下落したこともあった。当時ボーダフォンの日本事業は赤字で、競合のNTTドコモ・KDDIが市場の80%を支配していた。しかし、こうした絶対的に不利な状況で、孫氏は、月々の手数料を競合のおよそ4分の1に値下げ、さらにユニークなテレビCMシリーズも手がけ、顧客を獲得していった。こうして携帯電話事業を“復活”させ、負債返済の道筋を立てた段階で、今回のスプリント買収というさらなる大きな一手を打ったのだ。
 孫氏が記者会見で語った、「私は男だ。男なら誰でも一番になりたい」というコメントは、フィナンシャル・タイムズ紙などでも大きく取り上げられた。
 圧倒的に不利なスプリントの携帯電話事業において、競合が断念した「データ定額プラン」など魅力的な手を打つことにより、どこまでシェアを伸ばせるか、注目が集まっている。

2.丸紅、ミャンマーに商機
 ウォール・ストリート・ジャーナル紙は、丸紅の朝田社長のインタビューを掲載。同社のミャンマーでの計画と挑戦について語った。
 
 丸紅は70年前からミャンマーでビジネスをしており、長年にわたり信頼関係を築いてきたという。民主化を受け、中国、韓国、欧米の企業が進出してきており競争が激化する中、日本のノウハウと技術的なアドバンテージを賢く活かすことが大事と述べている。

 計画している具体的なミャンマーでのビジネスとしては、他国で実績のある発電所プロジェクトをあげた。ミャンマーでは関連の法律が確立されていないが、同社の豊富な経験・知識を生かし、自社資金の提供まで踏み込んだ提案にもふれた。また、ガス火力発電所建設、鉄道建設などの大型プロジェクトにも意欲を示している。

 ただ、産業のハブとして計画されているティラワ地域の開発が予定通りに進んでいないことなど、不透明な情勢であることも指摘されている。

Text by NewSphere 編集部