地下鉄サリンから20年:被害者が辿った「数奇な運命」に海外注目

 1995年3月20日の地下鉄サリン事件から20年。海外メディアも、13人の死者と6000人以上の負傷者を出したこの未曾有のテロ事件を、主に関係者や被害者の「その後」に着目する形で振り返っている。

 ウォール・ストリート・ジャーナル紙(WSJ)は、事件を起こしたオウム真理教の教祖、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚の三女の発言を取り上げている。一方、香港英字紙『サウス・チャイナ・モーニングポスト』(SCMP)は、被害者の一人、さかはらあつし氏(映画監督・作家)が、事件後に辿った数奇な運命を取り上げている。また、松本サリン事件で“冤罪”の被害者となった河野義行氏の「その後」に絡め、現代の一連のイスラム過激派のテロ事件につながる教訓を語る記事も見られる。

◆三女が語る松本死刑囚の変わり果てた姿
 麻原彰晃の三女「アーチャリー」こと松本麗華(りか)氏は、事件の20周年に当たる20日、自伝『止まった時計』(講談社)を出版した。WSJは、出版に際して公に姿を表した麗華氏の発言を取り上げている。

 それによれば、麗華氏は、父を「温かい大きな人」と表現。その死刑判決については、信者の供述のみに基づいた不当なもので、視覚障害を持つ父が、当時の複雑な計画を指揮できたかどうかは疑問だと考えているという。松本死刑囚には2008年を最後に28回接見したと明かし、最後に見た父の様子を次のように語った。「やせ細り、皮膚が剥がれ、髪の毛は白く禿げかかり、そして見えなかった。目玉を失ったため、目は落ち窪んでいた。歯も抜けていた」

 麗華氏は、大学進学時にオウム関係者だという理由で一旦は入学を拒否されたが、裁判の末に入学を果たし、心理学の学位を取得。現在は定職はなく、心理カウンセラーとしての不定期の仕事で生計を立てているという。「自分が経験してきたことを漠然と考えてきた。しかし、それと向き合うことは私にとっては複雑すぎた」といい、自伝の出版はそうした状態から前に進むために必要だったとメディアに語っている(WSJ)。

◆映画監督さかはらあつし氏の数奇な運命
 さかはらあつし氏は、19日、日本外国特派員協会で記者会見を開いた。その際の発言をSCMPがまとめている。本人が語ったストーリーによれば、当時、大手広告代理店のサラリーマンだったさかはら氏は、事件の朝、地下鉄日比谷線六本木駅から先頭車両の前から3つ目のドアから乗車。空席を見つけ、そこに向かっていくと、床に伏せられた新聞紙の下から透明な液体が漏れていたという。

 「他の乗客の不安を感じ取り、踵を返して車両の反対側に向かった」とさかはら氏は語った。SCMPは「空席に座らなかったことが、彼の命を救ったかも知れない」と記す。同氏はその後、車内のドアを通じて隣の車両に移った。その際、後をついてきた数人の乗客の中に妊婦がいたという。その後、手にしていた新聞に目を落とすと、ちょうど前夜にオウム真理教の幹部が逮捕されたという記事が出ていた。やがて目に違和感を感じ、その文字に「焦点を合わせることができなくなった」と語っている。そして、隣の神谷町駅で下車。その際に担架で運ばれる男性を2人見た。「後にそのうちの一人は亡くなったと聞いた」という。

 この経験は、さかはら氏の人生に大きな影響を与えた。事件後、広告代理店を退職し、渡米。2000年にカリフォルニア大学バークレー校のMBAを取得し、親交を深めていた米俳優・脚本家のデビッド・グリーンスパンの映画『Bean Cake(おはぎ)』の制作に参加、同作は2001年のカンヌ映画祭でパルム・ドールを獲得した。

 その後も映画製作や著作活動を行い、アメリカで知り合った日本人女性との結婚を前提に帰国。ところが、結婚式の数日前にその女性から大学時代にオウムの信者だったことを明かされた。それでも結婚はしたものの、18ヶ月で離婚。事件のトラウマはいまだ深く、現在手がけているオウム真理教元広報部長の荒木浩氏にフォーカスしたドキュメンタリーが、間もなくクランクアップする。

◆オウム事件の解明はイスラムテロ対策に役立つ
 さかはら氏は外国特派員を前に次のように語っている。「私のメッセージは、人間を信じたいということだ。人々が宗教の名の下に、あるいは国や人種の名の下に殺し合ったとしても、私は人間の良心を信じたい」(SCMP)。AFPは、専門家の意見を通じて現代のイスラム過激派のテロと一連のオウム真理教の事件との関連性に言及している。

 カルトのマインドコントロール研究で知られる立正大学の西田公昭教授は、一連のオウム裁判について、「オウムを解釈し実態を明らかにし、被告の罪を裁くだけでなく、日本が世界にテロリズムに対して有用な情報を出す機会だった」とコメントしている。そして、「イスラム国」などのイスラム過激派組織の台頭により、国際社会が対策に追われる中、サリン事件の詳しい経緯と背景を理解することがこれまで以上に重要になってくる、とAFPに語った。西田教授は、一流大学卒のエリート層だったオウム信者を含め、人々が過激派組織に惹かれる理由を解明することも重要だと述べている。

 また、オーストラリア系の独立メディア『The Conversation』は、1995年当時、日本の高校に交換留学していた日本研究家のコラムを掲載している。英シェフィールド大学で講師を務めるマーク・ペンドルトン氏は、地下鉄サリン事件の前の松本サリン事件で、一時犯人だとされてメディアなどに追われた河野義行氏の「その後」を語る。

 河野氏は、自身が嫌疑をかけられたうえに事件によって妻を亡くしたにも関わらず、死刑廃止の立場でオウム死刑囚たちの死刑執行に反対している。ペンドルトン氏は、死刑廃止運動や冤罪支援活動に尽力する河野氏の事件後の歩みを、「彼の公平性、正義、違いの尊重に対する考え方に基づいた、自分が住みたい世界を作ろうという試みだった」と解釈する。そして、9.11以降続く「テロとの戦い」を引き合いに「暴力に暴力で対抗する事は効果がない」とし、「松本サリン事件の実行犯の一人と友情を築いている」という河野氏にシンパシーを示している。

Text by NewSphere 編集部