捕鯨は「日本の伝統に反する」? 豪紙、“反・反捕鯨”の動きに懸念

 国際司法裁判所は3月31日、日本が南極海で行っている第2期調査捕鯨について、中止命令を下した。調査と名は付いているが科学的根拠がないことが理由だ。これに対し、日本政府は決定に応じるとしたが、調査内容を改善するなどして早期の捕鯨活動再開を目指している。

◆鯨ではない。「日本の漁業を守らねば」という危機感
 ニューヨーク・タイムズ(NYT)紙は、せめて日本が、捕鯨活動が科学的調査だと信じているか、あるいは、商業捕鯨を調査捕鯨の名を借りて行っているのだと考えてでもいるのならいいが、実際は、日本の捕鯨推進派の本音は、鯨が問題ではないのだ、と報じている。そうではなく、他の水産資源を確保したいがためなのだという。

 同紙は、日本では年間、鯨肉はひとりあたり24グラム以下しか消費されない。何万トンもの冷凍された鯨の肉とベーコンが、保管料の高くつく倉庫で見捨てられたままだ。結果として、財団法人日本鯨類研究所(ICR)は、鯨肉販売を主な目的として設立されたが、今や、公的援助を受ける非難の的だ、と指摘した。

 この無駄は、真の目的を隠そうとする政治によるものだという。日本政府が頑なに、その捕鯨権を守ろうとするのは、国の重要な漁業活動を侵食されるのでは、と恐れているからだとNYTは指摘する。

 根拠として、国際捕鯨委員会(IWC)日本政府代表団のメンバー水産庁の森下丈二氏の2000年に行われたインタビューの発言を紹介している。氏は、譲歩し過ぎることは、「以前の状態に戻ってしまうことだ」と強い危機感を示し、「ひとたび受け入れれば、野生の生き物を持続可能な資源とみる原理を、危うくしてしまう。他の魚や動物を捕獲する日本の権利が侵害されてしまうだろう」(NYT)と述べたという。

 問題解決のためには、日本の捕鯨再開に固執するのは、鯨ではなく漁業権を守ろうとするものだということを理解する必要がある、と同紙はみている。

◆自然に対する考え方の違いではないか
 豪オーストラリアン紙は、『In Blood and Guts: Dispatches from the Whale Wars』で、著者のサム・ヴィンセント氏が、日本側の主張の説明を試みていることを紹介している。

 それぞれの社会が自然に対する異なった関係を持っている。ただ、日本の捕鯨活動は、盆栽や桜を愛でる情緒とは、相いれないように思える、とオーストラリアン紙は不思議な様子だ。しかし、ヴィンセント氏によると、この評価は、自然の芸術や象徴の価値を考慮することが必要だという。日本人にとって、鯨は、単に神からの授かり物のひとつで、鯨は他の生物よりも特別な存在だという(西洋の)考えに困惑しているという。

 また、日本の捕鯨を主張する人々は、捕鯨支持なのではなく、反・反捕鯨派なのだという。ヴィンセント氏は、答えが見つからないとしながらも、対立は、日本の自然や伝統に対する大きな考え方を攻撃することになると懸念している。

◆鯨肉キャンペーン
 捕鯨活動中止の命令は日本の伝統への干渉だと、国内消費が減少しているにも関わらず、地方議員たちが声高に捕鯨支持を主張している、と米ブログサイト『シンクプログレス』は報じている。ICJの決定の直後、日本の国会議員たちは、党派を超えて、鯨肉を食するイベントを開催した。

 同サイトは、鈴木俊一衆議院議員は、「日本の捕鯨活動は、科学的根拠に基づくものだ。反捕鯨グループが反論しているのは、感情的な理由からだ。彼らは反対の理由として、鯨は見た目が可愛いいとか頭が良いからなどと言う」(シンクプログレス)と話したことを紹介している。

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Text by NewSphere 編集部