アカデミー賞候補『セールスマン』が描くイランの葛藤 授賞式ボイコットも話題に

 昨年のカンヌ国際映画祭で、脚本賞と主演男優賞を獲得したイラン映画『セールスマン(日本公開6月)』が、今年の米アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた。アスガー・ファルハディ監督は、すでに2011年に『別離』で同賞を受賞。最新作が、2度目の栄冠を手にするかどうかが注目されている。一方、トランプ大統領が出したイスラム国家7ヶ国への入国制限措置に抗議し、同監督と主演女優が授賞式欠席を表明しており、こちらも大きなニュースとなっている。

◆戦後のニューヨークに類似?イラン社会の今を映す作品
『セールスマン』の舞台は、近代化が進むテヘランだ。教師の夫とその妻は、劇団に属し、米戯曲「セールスマンの死」で夫婦役を演じている。近隣で行われている建設工事の影響で、二人の住むアパートの壁やガラス窓が損傷。しかたなく夫婦は急きょ別のアパートに引っ越したものの、部屋は元住人であった女性の私物であふれており、近所の住人によれば、女性は複数の男性を家に入れていたという。なんとか新生活に順応したころ、妻が夫の留守中に、自宅で何者かに襲われる。事件を表沙汰にしたくない妻と、怒りにかられ犯人探しを始める夫。夫婦の間にすれ違いが生じ、意外なラストへ向かう、サスペンス風のストーリーだ。

 この作品は、第二次大戦後のニューヨークの文化の変容と、資本主義の残酷さを示した「セールスマンの死」に、現代イランの隠喩の役割を持たせ、互いをつなぎとめようとする夫婦の葛藤を描いたものだと、ロサンゼルス・タイムズ紙は述べる。そして、ファルハディ監督が描くのは、グローバル化の影響を受けつつ、古い文化と厳格なイスラムの教えの範囲内で行動する若い世代のイラン人たちだと説明する。

 ファルハディ監督はガーディアン紙のインタビューで、現代的な生活は人々にインパクトを与えるが、急激な変化にうまく対応できない人も多くいると述べる。そしてイランの場合も、教育があり寛容に見えるモダンな人々であっても状況次第では非常に伝統的で後ろ向きな行動を取ってしまう、と説明する。映画の夫婦は、イラン社会の中核を成す「潔癖さ」の代表だと監督は考えており、評判や人目を気にする文化が、映画のなかの夫を怒らせ、復讐心を駆り立てたのだと説明している。

◆国内でも人気のファルハディ作品。でも保守層からは非難の的
 イラン映画といえば、日本でもよく知られているのが「ともだちのうちはどこ?」などのアッバス・キアロスタミ監督作品だ。中東ニュース専門オンライン紙『アル・モニター』によれば、同監督が「桜桃の味」でカンヌ国際映画祭のパルムドールを受賞したときはほとんど注目されず、作品自体もイラン国内では上映禁止だったらしい。今や状況は変わり、カンヌ映画祭でのダブル受賞後は、ファルハディ監督はソーシャル・メディア上で賞賛され、テヘランの空港で熱い歓迎を受けたと同紙は伝えている。

 イランでは、映画に対する国家の検閲が厳しいため、製作者は政府におもねるプロパガンダ作品を作るか、大胆で過激なテーマで反体制的な作品を作るかのどちらかだが、ファルハディ監督はどちらにも属さないとアル・モニターは指摘する。監督自身は、スペインで映画製作をした時期もあったが、今ではイラン国内での映画作りに肯定的で、検閲の問題はあるが、「少しずつ、よりオープンになっている」と述べている(ガーディアン)。

 ある評論家は、ファルハディ作品はストーリー性が高く、いつも有名俳優を使い、大衆向けで興収も良いと述べ、上映禁止か利益の出なかったキアロスタミ作品とは全く違うと説明している。その一方で、イラン国内では、『セールスマン』がレイプや売春をテーマにし、アンチ・ファミリーだという意見や、西洋の映画賞を取りたいがために、イランの暗いイメージを世界に提示している、という辛辣な批評もあるということだ(アル・モニター)。

◆トランプ氏の入国制限に抗議。授賞式には出席せず
 さて映画の評判もさることながら、メディアを賑わしているのは、ファルハディ監督と主演女優のタラネ・アリドゥスティさんが、トランプ大統領のイスラム圏7ヶ国に対する入国制限に抗議し、アカデミー賞の授賞式を欠席すると発表したことだ。米ABCによると、2011年の外国映画賞受賞の際に監督は、「重い政治の埃の下に隠されてきた豊かで古い文化だ」とイランを表現した。長く政治の犠牲になってきたイラン映画が日の目を見たことを喜んでいただけに、今回の米国の措置には落胆したようだ。

 監督は発表した声明で、「一国の安全を守ることを口実に、他国を辱しめることは、今に始まったことではなく、常に分断や憎しみを創造するための下地となってきた」と述べ、合法的にアメリカに入国しようとする人々に押し付けられた不当な条件を非難。現在の状況がさらなる国家間の分断を引き起こさないことを望むとしている(ABC)。

Text by 山川 真智子