高倉健さん逝去 「日本のクリント・イーストウッド」を海外メディアも追悼

 日本を代表する俳優の一人、高倉健氏が死去した。享年83歳。

 高倉氏の事務所が18日に発表したところによると、高倉氏は11月10日に悪性リンパ腫のため東京都内の病院で息を引き取った。葬儀は故人の意向により近親者のみで行われた。

 205本の映画に出演し、ハリウッド映画にも出演した日本の映画スターの訃報を海外各国のメディアもこぞって伝えている。

◆海外メディアが見る「任侠」映画の変遷
 俳優・高倉健のキャリアの前半は「ヤクザ映画」だ。1955年の東映入社以来、高倉氏は年間10本ペースでヤクザの世界をテーマとした映画に出演している。1965年の『網走番外地』シリーズは好評で、高倉氏は日本の映画ファンの、この世代の象徴となった、とアメリカのエンタメ業界誌『バラエティ』は述べる。BBCは「日本のクリント・イーストウッド」として知られた、と伝える。

 ガーディアン紙は、高倉氏の出演していたような任侠映画を「孤高のヤクザが一般の人々のため正義を追求する」「騎士道映画」であると説明している。同紙はまた、今年前半の高倉氏のインタビューでの発言を引用している。高倉氏は自らの演じる役柄を「理に適わない不正義には容赦なく立ち向かう」と言い、「ただ単に切り合いをするのではなくて、自分の大切な人々を守るために身をささげることを望む」ため、観客が感情移入するのではないかと述べている。

 シドニー・ポラック監督の『ザ・ヤクザ』(1974)では、このような「寡黙で威厳があり厳しいヒーロー」を演じたものの、日本のギャング映画はより残忍で血に飢えたものとなり、高倉氏はよりドラマチックな役柄を求めるようになった、と同紙はいう。

 バラエティ誌も、日本の映画ファンは任侠物から離れ、1973年の『仁義なき戦い』シリーズでは高倉氏の演じるような様式美は用いられなくなっている、と述べる。また、『新幹線大爆破』への出演など、高倉氏がヤクザ映画と距離を置こうとしていたとも伝えている。

 AP通信社は、高倉氏は「人の心を映し出し、自分の心に残るような映画が好きだ」と述べており、ヤクザ映画で無法者を何度も演じてきたにもかかわらず、最近のギャング映画には惹かれなかったようだと伝えている。

◆高倉氏の代表作
 東映を離れてからの高倉氏の業績については、各メディアとも同じ映画を取り上げている。

 代表作には、やはり『幸福の黄色いハンカチ』(1977)と『鉄道員(ぽっぽや)』(1999)の2作が挙げられている。『鉄道員(ぽっぽや)』では、同年のモントリオール世界映画祭・主演男優賞を受賞した。また、公開後15年にわたって興行成績トップの記録を作ったとして、『南極物語』(1983)のタイトルも挙げられていた。

 一方、海外、特に西洋では、マイケル・ダグラスと共演した『ブラック・レイン』(1989)、また、トム・セレックと共演した『ミスター・ベースボール』(1993)の2作がよく知られているようだ。海外作品への出演ということでは、張芸謀監督の『単騎、千里を走る。』(2005)も取り上げられている。同作についてガーディアン紙は「(監督の前2作が派手なので、その)口直しのような、静かなドラマ」と評する。

 遺作となったのは、2012年の『あなたへ』だが、AP通信社によると、入院中も次回出演作の準備をしていたという。

 また、ウォール・ストリート・ジャーナル紙は、2013年に文化勲章を受章したことも伝えていた。

◆日本国内の嘆きの声
 BBCは高倉氏の訃報に接しての日本国内の反応も報じている。例えば、NHKは正午のニュースのトップに報じ、朝日新聞は氏を「日本の最も偉大な俳優の一人」とよんでお悔やみのツイートをしている、などだ。

 また、オンラインではファンの嘆きの声がソーシャルメディアを席巻しているとも伝えており、特にベテラン俳優の「健さん」への弔辞を引用している。

笹野高史氏:「共演の夢かなわず」

浅野忠信氏:「ご冥福をお祈りします 本当に悲しいです ありがとうございました」

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Text by NewSphere 編集部