“宮崎駿監督が今の自分を作った” 『トイストーリー』監督、氏への熱い思いを吐露

 第27回東京国際映画祭が10月23日から31日まで開催されている。このイベントで「クールジャパン」推進キャンペーンの一環として、映画監督のジョン・ラセター氏の講演が行われた。同氏は現在ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ、ピクサー・アニメーション・スタジオ両スタジオのチーフ・クリエイティブ・オフィサーだ。

 講演では、日本のアニメ映画の巨匠、宮崎駿とその作品について映像を紹介しながら熱い思いが語られた。

◆『カリオストロの城』に衝撃
 ラセター氏は、1980年代のはじめ、ディズニーで働き始めた。入社当時、子供向けアニメを製作する会社の方針にとても困惑したと話す。同氏は、アニメーションとは、単に子供向けではなく、全ての世代の人に訴えるストーリーを持つべきだ、と信じていたからだ。

 そんな折、1981年、ラセター氏の製作チームは、日本のアニメ制作会社トムス・エンタテインメント(TMS)の訪問を受けた。このとき同社の社員であった宮崎駿の初作品『カリオストロの城』を、その上司が上映した。

 「僕は完全にぶっ飛んだ」「とても大きな衝撃を受けたよ。今まで見たアニメ作品のなかで、これこそが全ての世代の人々を楽しませるというヴィジョンをもつ作品だ、と感じた。この世で僕だけがその思いを持つ人間じゃないと思わせてくれた」「これが自分の作りたいものだ、前に進もうという思いで満たされた」(ハリウッド・リポーター誌)と同氏は当時の思い出を話した。

 1987年11月11日、ラセター氏は、ようやく宮崎駿本人と対面することとなる。そのときもらった『となりのトトロ』の原画はスタジオに飾ってあるそうだ。親しい交流は現在も続いている。

 また、同氏の初長編作品となった『トイストーリー』を宮崎駿に見せたとき、宮崎から熱心な励ましを受けたという。「彼は恐らくコンピュータアニメは好きじゃないだろう。でも、その手法を超えて、ストーリーを評価してくれた」(米映画専門誌『バラエティ』)

◆宮崎作品の繊細さ
 交友は続き、ラセター氏は業界での名声を得た。そして、彼は宮崎作品を世界中の観客に届ける手伝いをしようと決断する。「(宮崎の)初期作品が英語に翻訳されていないことが不満だった」「彼のヴィジョンを守りたかった。英語圏の観客にも日本人と同様に作品の質の高さを理解してほしかった」(ハリウッド・リポーター誌)

 2001年公開アカデミー賞を受賞した『千と千尋の神隠し』では、翻訳に協力した。宮崎監督の思いを伝えるのにどう翻訳するべきか格闘していた時のことだ、「僕は彼にどれが一番いい訳か尋ねたんだ。すると彼は、『ジョン、アメリカ人の観客が本当に僕の作品を理解したいと思ったなら、みんなが日本語を習わなくちゃいけなくなる』と答えたよ」(ハリウッド・リポーター誌)と気取らない巨匠の人柄を紹介した。

 同氏は、宮崎駿の作品がなぜ好きなのか、3つの理由を挙げた。ひとつは「静寂の素晴らしさ」それと「行動を通して登場人物の性格を描き出す才」もうひとつは、細かな描写が「個性的で異質」だとしている。例えば、トトロと姉妹が雨のなか猫バスを待っていると、ようやくバスが来るというシーン。姉が背負う妹を持ち上げるときに落ちる傘、蛙、猫バスのライトの点滅。一度観たことはあったが、ラセター氏の視線を通すと、繊細な表現が見えてきて格別だった、と米映画情報サイト『インディーワイヤ』は記している。

◆「ごちゃまぜの東京がインスピレーションをくれた」
 1987年、ピクサーが設立された直後、ラセター氏は初めて日本を訪れた。東京について、新旧がごちゃまぜだが、快適に共存しているユニークな街だ、と評している。「僕の全てのキャリアは、日本で発見したことが基になっている。伝統と遺産、クラシックなデザインを土台に、そのうえで、最先端の技術を利用する」「これがピクサー成功の秘密のひとつさ」(ハリウッド・リポーター誌)
 
 同氏は、仕事に行き詰まったときにはいつでも、想像力を取り戻すため宮崎作品をひとつふたつ観るという。講演の最後には、製作のインスピレーションを与えてくれる日本に感謝を述べ、宮崎駿が「今の自分を作った」と結んだ。

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Text by NewSphere 編集部