マーティ・フリードマン「日本への移住は最良の選択だった」 ソロアルバムで世界舞台に復帰

 日本で活動する元メガデスのギタリスト、マーティ・フリードマンが、自身初のワールドワイド・ソロアルバム『インフェルノ』をリリースした(日本での発売は5月21日)。

 マーティは約15年前に日本に拠点を移して以来、日本では多くのソロアルバムを発表してきたが、世界市場に向けたものはこれが初めてとなる。音楽性も「メタルに回帰した」と評価され、母国アメリカの音楽メディアは、マーティの“カムバック”に沸いている。

【世界中のファンが待ち望んだ】
 マーティ・フリードマンは、1990年、スラッシュメタルのBig4の一角をなすメガデスに加入し、バンドの全盛期を支えた。2000年に脱退後、2004年に突如日本へ本格的に移住。以来、演歌からJ-POPまで幅広く日本の音楽シーンに関わり、それらを吸収して意欲的にソロアルバムを発表している。また、相川七瀬をはじめ、多くの日本人アーティストと共演し、テレビの音楽番組やバラエティ番組にも多数出演している。

 日本ですっかりお馴染みの存在となったマーティだが、母国アメリカでは注目度は下がったものの、メタルやアバンギャルド・ロックなどの特定の音楽ファンからは、「伝説のギタリスト」としてヒーローであり続けているという。

 『インフェルノ』は、そんなファンたちの期待に応えて、かつてのヘビーメタル路線に回帰したと評価されている。マーティ自身も「世界中のファンがメガデス時代の僕にやって欲しがっていたことを、やっと実現できたと思う」と、ヘビーメタルとハードロックの専門サイト『Blabbermouth』のインタビューで語っている。

【自分のやりたい音楽は日本にあった】
 世界のステージへの久々のカムバックとあって、母国アメリカの複数の音楽メディアがマーティのロングインタビューを掲載している。ニューアルバムの話もさることながら、やはり日本へ渡った理由や活動ぶりに関心が集まっているようだ。マーティは移住について、次のように答えている。

 「当時、僕が聴いていたのは100%日本の音楽だったんだ。アメリカとイギリスの音楽には完全に興味を失っていた。自分のやりたい音楽は日本にあった。だから日本に行った。陳腐に聞こえるかもしれないけれど、夢は追い続けなければならない」(音楽専門サイト『MusicRadar』)、「(日本への移住は)人生で最良の選択だった」(音楽専門サイト『Noisey』)。マーティの考えでは、アメリカの音楽シーンはジャンルごとの境界線がはっきりしているが、日本ではそれが柔軟にクロスオーバーしている。それが自分の感性に合っているのだという。

 「アメリカでは、日本のテレビはクレイジーだと見られている。馬鹿げたことを強いられることはないのか?」というインタビュアーの質問もあった(『Noisey』)。マーティはこれに「全てではないよ。それに厳しいマネージャーがいるから大丈夫」と笑って答え、テレビ出演全般について「毎週違うことをしていると、かえって音楽活動に戻った時に新鮮に接することができる。すごくいい刺激になっている」などと前向きに捉えている。

【PVは日本のテレビ番組から着想】
 『インフェルノ』のレコーディングの大半はLAで行われた。マーティは逆カルチャーショックを受けたようで、『MusicRadar』のインタビューで「完全にアメリカンな雰囲気だったよ。アメリカ人に囲まれて、ずっと英語で話していた。それは僕にとっては新鮮だったよ。今は日本語を話す機会の方が多いんだ」と語っている。 

 また、タイトル曲「インフェルノ」のPVでは、日本の女子高生風の制服に身を包んだ白人のティーンエージャーが町を走る映像が使われている。これは、マーティお気に入りのテレビ番組『全力坂』(テレビ朝日)にインスパイアされたものだという。

 「5分間の番組で、ただ女の子が坂を駆け上がるだけ。明快で天才的に“微妙にセクシー”だ。PVの(アメリカ人)監督にその魅力を説明するのに苦労したよ」とマーティは語り、インタビュアーにも必死にその魅力を伝えようとし言葉を尽くしている。

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Text by NewSphere 編集部