空の安全を守る高度な「調整力」 JALの運航管理者が備えるコミュニケーション能力とは?

 職種や就業形態によって温度差があるとはいえ、コミュニケーション能力は社会人に必須のスキルだと言えるだろう。そして、そのコミュニケーションの形態が今、大きく変わってきている。戦後の日本のサラリーマン社会では、長らく「飲みニケーション」と言われるような勤務時間外の「いつもの相手」との対面型の付き合いが重視されてきた。しかし、インターネットの普及とともにグローバル化の波も同時に押し寄せている今、そうした日本独特のサラリーマン型コミュニケーションの意義が急激に薄まり、代わりにSNSや電子メール、電話などを通じた幅広い「顔の見えない相手」や外国人とコミュニケーションを取る機会が増えている。それに伴い、職場でコミュニケーションがうまく取れなくて悩んでいる人も少なくないはずだ。

「顔の見えない相手とのコミュニケーション」に秘訣があるとすれば、インターネットの普及以前からそれを日常的にやっているプロの現場にヒントがあるかもしれない。そこで、衛星電話などを通じて機上のパイロットや遠く離れた空港スタッフと連絡を取り合いながら業務を遂行している航空会社の「運航管理者」に着目した。実際にJAL(日本航空)で数少ない女性運航管理者として活躍する長谷川真衣さん(34)にお会いして、顔が見えない相手や外国人とのコミュニケーションの秘訣を聞いた。

◆飛行計画を立案し、地上から安全・快適な飛行をサポート
 ディスパッチャーとも呼ばれる運航管理者とは、旅客機の飛行計画を立案し、離陸後も天候の状況をパイロットに伝えるなどして地上から安全でスムーズな飛行をサポートする航空会社のスタッフだ。急病人の発生などの不測の事態にも臨機応変に対応する。JALには約80名が運航管理者として勤務しており、そのうち女性は4名。長谷川さんはその数少ない一人だ。「国内線担当と国際線担当に大きく分かれますが、私は国内線を8ヶ月ほど担当した後、先月、国際線に配属されたばかりです。国際線の中でもアジア、オセアニアなどの短距離線を担当しています」。入社10年目の長谷川さんは、入社以来空港でお客さんの対応をするグランドスタッフとして活躍してきた。前任地の北京空港での勤務中に運航管理業務の手ほどきを受けて国家資格を得た後、社内の資格審査をパスして現在の業務に就いた。会社からは、接客と運航の仕事の両方ができるマルチな人材として、期待をかけられている。

 運航管理者は、モニターがズラッと並ぶ東京の本社内のワンフロアで仕事をする。そのデスクの一つに座り、モニターに刻々と表示される担当の便の情報を見ながら、必要に応じてパイロットや整備士、目的地の空港のスタッフらと交信し、情報交換をする。「基本的には日勤夜勤のシフト制です。日勤の場合は8時から17時の勤務ですが、私はまだ不慣れなので7時には出社して担当する全ての便に関係する各地の天気と航空情報を確認してから業務に就きます。1日にトータルで100便くらい担当し、そのうち実際に離陸して空を飛ぶのは20から30便です」

 それだけ多くの便を担当するとなれば、扱う情報量も膨大となる。「フライトの状況を監視するシステムを通じて、燃料の消費量や飛行高度、揺れの有無などを確認します。同時に、急病人が出たり、機体に調子が悪い部分があったりすると、そうした情報も衛星通信などを通じて通話や文字情報で伝わってきます。機上からの情報を真っ先に受け、整備士さんや提携している保険会社さんの担当者に連絡するといった中継役も私たちの仕事です」

◆落ち着いた口調で対話し、頭の中は沈着冷静に
 そうした幅広い業務を遂行するにあたっては、情報量もさることながら、コミュニケーションを取る相手も非常に多い。しかも、そのほとんどが「顔の見えない相手」だという。「今の部署にいると、なかなか他部署のスタッフ、つまり通話している相手と直接顔を合わせる機会はありません。機長さんや頻繁にやりとりをしている相手でさえ、社内ですれ違ってもお互いにわからないと思います」。長谷川さんの世代では、昭和型の“飲みニケーション”もほとんどないという。「まれにFaceTime(ビデオ通話アプリ)で連絡をくださる方がいて、『この人こんな顔なんだ』とわかるくらいですね(笑)」

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 顔が見えないだけに、口調や声色に気をつけている運航管理者は多いようだ。ある先輩は笑顔ならぬ“笑声“で話し、相手の緊張を和らげるよう気をつけているという。「私の場合は基本的には落ち着いた口調で答えるよう心がけています。不測の事態に対応していて内心はすごくドキドキしていても、できるだけ普通の口調で話しながら別の電話で助けを呼んだり(笑)。ゆっくり『そうですね~』と言いながら、頭の中で冷静に事態を整理しています」

 最近は女性も増えてきたが、パイロットや整備士の世界はまだまだ男性社会の色が濃く、職人気質の人が多いというイメージだ。「実際に頑固な方はいます(笑)。その勢いで電話がかかってくることもあるんですけど、女性が出るとだんだん軟らかくなっていかれるので……(笑)。あまり強く言われることはないですね」。それは、単純に「女性だから」ということではないのだろう。長年の接客業務で培った謙虚で柔らかな物腰が、実際に対面していてもよく伝わってきた。また、大学の理系学部を卒業したこともあり、燃料の計算や天気の分析も比較的苦労せずに行えているという。表面の「女子力」の裏にあるそうした能力も、頭の中は沈着冷静でいられることに一役買っていそうだ。

◆語学力よりも「伝えようとする気持ち」が大事
 国際線担当の場合、海外の現地スタッフや空港スタッフと英語でコミュニケーションを取る機会も多い。航空業界で働くことを目指して学生時代に短期留学や語学学校で英語を学んだという長谷川さんだが、決してペラペラなわけではないという。北京勤務時代は、中国語が全くできないままに赴任し、日本語が得意な現地スタッフに助けられながら、少しずつ言葉を覚えていった。

「語学に関しては、語学力そのものよりも、伝えようとする気持ちが大事だと思います。相手も英語がそれほど得意ではない場合もありますし。それから、相手が伝えようとしていることを予測する能力。色々な所にアンテナを張っていると、先方が言っていることの全てが聞き取れなくても、言いたいことが見えてくることもあります。逆に自分から伝えたいことがあって単語が出てこなくても、分かることだけを一生懸命伝えようとすれば『ああ、これのこと?』と気づいてくれたりもします」

 以前は「外国人とただ話すことがグローバルだと思っていた」という長谷川さん。今は、育ってきた文化やそれによって培われてきた考え方が違う中で、違いを理解し、尊重することが第一だと思っている。「海外のことは、メディアなどから伝わってくる情報だけでは分からないことも多いと思います。私は北京に赴任して現地スタッフに囲まれて仕事をしながら、それに気づきました。今、『顔の見えないコミュニケーション』をしているなかでも、相手が違う文化で育ってきたということを念頭に置いています」

 今後、あらゆる業界で外国人とコミュニケーションを取る機会がどんどん増えていくだろう。この点に関しては実際に海外の文化や人々に触れる「生身のコミュニケーション」を体験しておいた方が良いかもしれない。

Text by 内村 浩介